「国風文化」の時代/著者:木村茂光

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書籍情報

タイトル

「国風文化」の時代

発刊 2024年2月1日

ISBN 978-4-642-07533-6

総ページ数 308p

著者

木村茂光

東京学芸大学名誉教授、博士(文学)

出版

吉川弘文館

もくじ

  • 序章 問題の所在と時代の概観
    • 1 なぜ「国風文化」なのか?
    • 2 「国風文化」の時代とは
  • Ⅰ章 中世的在地社会の形成
    • 1 富豪層の台頭
    • 2 王朝国家への転換
    • 3 中世村落への移行
    • 4 開発の進展と中世村落の形成
  • Ⅱ章 都市平安京の形成
    • 1 平安京の成立と構造
    • 2 都市京都へ
    • 3 都市住民の様相
    • 4 触穢と怨霊
    • 5 保刀禰から「町内名士」へ
  • Ⅲ章 九・一〇世紀の外交と排外意識の形成
    • 1 伝統的対外意識の動揺
    • 2 排外意識の強化と神国思想
    • 3 遣唐使の中止と一〇世紀の対外関係
  • Ⅳ章 「日本」的儀式の形成と文人貴族
    • 1 文章経国思想の衰退
    • 2 「日本」的儀式の形成
    • 3 藤原氏と文人貴族
    • 4 藤原流儀式の成立
  • Ⅴ章 「国風文化」の特質
    • 1 文人の学問と本朝意識の形成
    • 2 日本的知識の集成
    • 3 仮名文学の特徴
  • 終章 「国風文化」から院政期の文化へ
  • 参考文献一覧
  • あとがき
  • 補論 「国風文化」研究の前進のために

はじめに

 この時代の特質を究明するヒントが、「国風文化」という用語そのものにあります。

 摂関政治の時代の文化は「国風文化」と言われるのでしょうか。

 菅原道真の遣唐使中止の健言によって、東風文化の流入が途絶えて文化の和風化が進んだ結果です。この理解が正解でないとしても、「国風文化」が東風文化に対していわれたことは間違いありません。

地方民の流入

 「人人貴賤となく、多く群聚する所なり」といわれるほど、人々が平安京に集住するようになりました。首都なだけでなく都市であったからでしょう。

 しかし、京畿への農民の流入が活発化したようで、800年には「一切禁断する」旨の太政官付が出されています。

 平安京の秩序を安定して一部に限定されたりしたが、また禁止されたりと、流入問題の奥深さを表しているようです。

9世紀外交

 9世紀後半における日本の支配者を中心とした対外意識の変化を具体的に書き出すために、その変化の側面、すなわち神国思想に基づいた閉鎖的・消極的で、かつ差別的な対外意識の形成に焦点をあてすぎた感が否めません。一方で、現実的な対外関係も着実に前進していきました。

 新羅や唐の商人によって詩的貿易が活発化するのも9世紀中葉です。人々が新羅人のもたらす品物を争って高値で購入してしまうので、まず中央政府が必要とする物品を買い付け、その後に一般人が適正な価格で取引をするように大宰府に命じたものです。商人の手によって交易が支えられていました。

 政府が消極的な外交方針を取ろうとも、新羅や唐の商人は私的な貿易を求めて日本にやってきました。彼らが運んでくる舶来品に対して、貴族や地方の富豪層ばかりでなく、公的な貿易を認めていない政府自身が強い関心をもち、彼らからの購入に頼っていたことを示しています。

文人の形成

 「国風文化」の形成の前提となったのは「文人」階層の誕生です。

 「詩儒」「通儒」などが作られ、非難し合う状況が作られました。「通儒」のグループが後に学問の担い手として存続するようになり、「文人」とよばれる階層が生まれます。

 文人の形成と漢詩文の和習化は同時並行で進行した者であり、これらによって平俗的な漢文学的な教養が広く貴族社会に享受されることになりました。和歌とならんで貴族層一般の基本的な知識として定着することになったのです。

 実際に文人の階層が、摂関政治の根底で支える有能な実務官人層を排出することにもなったことを見落としてはなりません。

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