地図で読む戦争の時代/著者:今尾恵介

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書籍情報

タイトル

地図で読む戦争の時代[増補新版]

描かれた日本、描かれなかった日本

発刊 2023年11月5日

ISBN 978-4-560-09390-0

総ページ数 277p

著者

今尾恵介

1991年にフリーになり、旅行ガイドブック等へのイラストマップ作製、地図・旅行ガイドブック等へのイラストマップ作製、地図・旅行関係の雑誌への連載をスタート。
地図・地名・鉄道関係の単行本の執筆を精力的に手掛る。

出版

白水社

もくじ

  • はじめに
  • 地図に表された戦争の傷跡
    • 地形図に描かれた空襲_名古屋
    • 市街地に残る幅広い傷跡 建物疎開_蒲田、名古屋、京都
    • 新宿の戦前と戦後
    • 終戦直後の東京_渋谷
    • 市電に「特急」が走った理由_東京、名古屋
    • 「不要不急」とされた鉄道_京急逗子線、京王御陵線、高尾登山鉄道
    • 戦時中に建設された「遠回り新線」_関ケ原、北海道・大沼、松島
    • アメリカの「対日石油禁輸」で廃止された駅_弘前周辺
    • 地名に残る「戦争の時代」_勝どき橋、各務原。福井・三六町
    • 瓦礫でできた山 ベルリン大空襲の傷跡
  • 植民地と領土を地図に見る
    • 朝鮮の干拓地に記された日本の県名
    • 台湾の脳槽を縦横に走る稠密な線路網
    • 台湾の地図に点在する「警官駐在所」
    • 「王道楽土・満州国」の地図
    • 「大東亜共栄圏」の地図記号
    • 戦前の地図帳で世界を観察する
    • 琉球政府の地図に見る尖閣諸島
    • 北方領土の地図を両側からみる
    • ポーランドを引き裂く「独蘇新国境」
    • 東ドイツの「偉人通り」はその後……
    • ナチス時代から再統一まで 変貌するワイマールの通り名
  • 地図が隠したもの 秘匿される地図
    • 描かれなかった等高線_横須賀
    • 毒ガスは地形図の空白で作られた_広島
    • 「禁断の地」を地図はどう表現したか 要塞地帯の民間地図_安房、呉、佐世保
    • 徐々に霞んでいった要塞地帯の地図_呉、舞鶴
    • 東京に広大な空き地? 皇室用地の空白
    • 改竄された日本 戦時改描_大井ダム、足尾銅山、王子、横浜、鶴見操車場、海軍火薬廠、西山油田
    • 使用後焼却処分せよ 警告する地図_韓国、大田市、ロシア・沿海州
  • 軍事施設はその後どうなったか
    • 軍用地はその後どうなったのか_東京砲兵工廠(後楽園)、成増飛行場
    • 軍用鉄道の生まれ変わり_新京成電鉄、東急こどもの国線、西武拝島線
    • 地図上の大きな円形_船橋、戸塚
    • 焼け跡の街に出現した飛行場_大阪、横浜
    • 東京の軍室はその後どうなったか_近衛師団司令部、代々木練兵場、歩兵第一・第三聯隊
    • 戦時中に作られた今はなき飛行場_藤沢、茂原、北海道、浅茅野
    • 日清戦争で登場した線路_宇品港、大崎、横浜
    • 日中戦争後に相次いで変えられた軍事施設駅名_各務原
    • 街中にたたずむ長方形 射撃場跡地_東京共同社的会社、戸山ヶ原射撃場
  • あとがき

はじめに

 地形図を作り始めたのは、どの国でもたいてい陸軍です。国を守るために正確な地図が必要であることは当然です。

 このような地図は軍事機密であるため、一般人が入手することは困難で、カタログでも一部は空白になるなどの対処が採られていました。

 60年以上の歳月を経て、古地図が古書市場に流通するようになったのです。

 地図を通じて「戦争の時代」を俯瞰してみると、実にいろいろなものが見えてきます。

終戦後の東京

 昭和20年8月、東京には数度の空襲による焼跡が広がっていました。その焦土には闇市が進出し始めます。世田谷の下馬町は、爆撃機が身軽になるための「捨て爆弾」で被害が出ています。

 陸軍陸地測量部は昭和10年代、「大日本帝国」の勢力圏の拡大に伴って外地の測量に追われていました。そのため本土の経年変化を反映させるべき地形図の修正作業は滞り、「帝都」の地形図でさえ昭和7年頃から手が付けられていなかったのです。

 終戦1年後の昭和21年9月15日に発行された「東京都35区 区分地図帖」があります。「戦災焼失区域表示」とあるが、ピンク色に塗られている部分が焦土です。市街地をすべて塗ったのかと思うほど広範に広がっていて、深川区・城東区はほぼ全焼、本所区は96%に及んでいます。

ナチス時代から再統一

 ドイツの真ん中より少し東側、テューリンゲン州にあるワイマールは人口6.6万ほどのほどの諸都市です。第一次世界大戦後にドイツ共和国憲法の制定会議がここで行われたことから「ワイマール憲法」「ワイマール共和国」の名で知られています。

 東独時代に置かれたいた県は廃止されて従前の州が復活し、通り名がどの町でも多く変更されています。聖人にまつわる通り、マリア通り、ヨハネ通りなどが出現しました。行先の都市名を付けたフランクフルト通り、ライプツィヒ通りなどが命名されているのです。

 ナチス時代にでは、多くの都市にヒトラー通り、ヒトラー広場が存在していました。「通りの命名に関する原則」という通達で、各都市で最も重要な通りまたは広場をアドルフ・ヒトラーにちなんで命名するよう定められたのです。

呉の地図表現

 広島県呉市付近の20万分の1帝国図があります。現在の「地勢図」の前進にあたるもので、明治のこの時期からすでに多色刷りでした。等高線に加えてレリーフ(地形の陰影)が入っているため、広範囲の地形をつかむのに最適な図です。

 呉市は明治23年に鎮守府が置かれて以来の軍湾都市で知られるが、その通り「呉市」の文字の下には二重丸の錨が入った記号が置かれ「軍湾」意味する文字が書かれています。

 全国各地に存在した軍事上重要な区域である「要塞地帯」も、5万分の1程度以上の縮尺では空白にされていた呉軍湾域ですが、20万分の1の帝国図では、表現を少しぼかして刊行されていたのです。

 海軍基地が関係する交通路もしくは海軍基地などは空白だったので、かなりの面積が白でした。

 また、真珠湾攻撃の翌年は、石油禁輸などにより物資不足が深刻になってきた時代で、紙質の悪さは明らかです。山にあたる部分が緑のベタ塗りになっていて、地形の起伏が全く分かりません。呉に続くトンネルも意図的に描かなかったのです。

日清戦争で登場した線路

 山手線は日本最古の「私鉄」とされる日本鉄道が明治18年に開業した品川~赤羽間の路線をそのルーツとします。

 上野と新橋の間には江戸以来の市街地が広がっていて、路線をつなぐのは容易なことではありません。上信越方面の生糸などの産物を横浜湾へ運ぶため、まだまだ農村風景の広がっていた渋谷や新宿を経由して路線が敷設されました。

 当初は新橋駅から品川を経て赤羽なで、蒸気機関車が1日数往復するだけのローカル線で、途中駅は目黒、渋谷、新宿、目白、板橋のみです。環状運転されるようになるのは、大正14年(1925)11月からなので、だいぶ後のこととなっています。

 東北・上信越方面からの軍用列車が品川で方向転換しなくても済むように設けられた短絡線があります。大崎駅から現在の大井町駅までの間がその線路です。山手線・東海道本線・短絡線が三角形を描きます。いわゆるデルタ線です。

 三角形の土地を古地図でみると、ほとんどが田んぼで占められていることがわかります。現在はその北半分のほとんどが第十三共の工場敷地です。東京の鉄道を要衝して発展しました。分岐点の大崎駅が開業したの明治34年(1901)です。

 大崎駅は「車庫の駅」として認識されていたが、昨今は埼京線とりんかい線、湘南新宿ラインの結合点として利便性が向上し、工場跡地の再開発、大崎ニューシティなどが進出するなど、様変わりしています。

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