厨房からみたロシア/著者:ヴィトルト・シャブウォフスキ

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書籍情報

タイトル

厨房からみらロシア

包丁と鍋とおたまで帝国を築く方法

発刊 2025年2月15日

ISBN 978-4-560-09136-4

総ページ数 424p

書評サイト 好書好日

出版社リンク 白水社

著者

ヴィトルト・シャブウォフスキ

イスタンブールで政治学を学び、報道記者としてキャリアを始める。
初の著書からベアタ・パヴラク賞を獲得し、今では13カ国で翻訳されるほどの執筆家となった。

出版

白水社

もくじ

  • 地図
  • はじがき
  • 序文
  • 第1の皿 イヴァン・ハリトーノフ 最後の皇帝の料理人
  • 第2の皿 シューラ・ヴォロビヨワ レーニンの料理人
  • 第3の皿 ハンナ・バサラバ 大飢饉
  • 第4の皿 山での出会い スターリンの厨房
  • 第5の皿 美女とベリヤ スターリンの料理人とその妻
  • 第6の皿 タマーラ・アンドレーエヴナ 包囲下のレニングラードのパン職人
  • 第7の皿 遺体発掘 戦時下の料理
  • 第8の皿 ヤルタの餐宴
  • 第9の皿 ファイナ・カゼツカヤ ガガーリンの料理人
  • 第10の皿 ヴィクトル・ベリャーエフ クレムリンの料理人
  • 第11の皿 ママ・ニーナ アフガニスタンの料理人
  • 第12の皿 ヴィクトル・ベリャーエフ再登場
  • 第13の皿 おとぎ話 チェルノブイリ厨房
  • 第14の皿 ヴィクトル・ベリャーエフ再々登場
  • 第15の皿 ポリーナ・イワノウナ 猪肉のグヤーシュ、あるいはソ連邦最後の晩餐
  • 第16の皿 スピリドン・プーチン サナトリウムの料理人
  • 第17の皿 チェブレキ クリミア・タタール人の料理
  • 第18の皿 ヴィクトル・ベリャーエフ最後の登場
  • あとがき

書籍紹介

 この本は、食という身近な視点を通じてロシアの歴史や文化を紐解いていくノンフィクションで、読み進めるうちに、料理が単なる食事以上の意味を持つことに気づかされます。著者のシャブウォフスキさんは、ポーランド出身のジャーナリストで、これまでも独裁者の料理人に焦点を当てた「独裁者の料理人」など、ユニークな視点から歴史を描いてきた実績があります。

 「スターリンは普通の人たちと同じように食べていた」という話を耳にしたシャブウォフスキさんは、その言葉に疑問を抱きます。本当にそうだったのか、権力者たちの食卓には何が並び、どのようにして人々は過酷な時代を生き抜いてきたのか。そんな好奇心が本書の原動力となり、彼は旧ソ連を構成していた国々を旅して回ります。帝政ロシア時代から革命、そしてソ連崩壊に至るまでの長い歴史を、食というレンズを通して描き出しているのです。

 印象的なのは、最後の皇帝一家と共に運命を共にした宮廷料理人から、プーチン大統領の祖父であるサナトリウムの料理人に至るまで、さまざまな人物のエピソードが織り込まれている点です。これらの料理人たちは、歴史の表舞台には登場しないものの、その裏側で人々の暮らしを支え、時には権力者の気分を左右する重要な役割を果たしていました。シャブウォフスキさんは、彼らの声に耳を傾け、当時の食生活がどのようなものだったのかを丁寧に掘り下げています。例えば、厳しい時代にどうやって食材を手に入れ、どんな工夫を凝らして料理を作ったのか、その様子が生き生きと伝わってきます。本のサブタイトル「包丁と鍋とおたまで帝国を築く方法」が示す通り、食が単なる生存手段ではなく、文化や権力、そして人々の絆を形作る力を持っていることを実感させられるでしょう。

試し読み

※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。

スターリンの炊事嫌い

 スターリンが子どもの頃、母親はさまざまな仕事をしていました。とりわけ料理人として働いていたようです。

 その生い立ちからか、スターリンは生涯にわたって厨房に漂ってくる食べ物のにおいを嫌っています。厨房は自分の別荘や邸宅から離れた場所に建てるように命じるほどです。

 シベリア送りにされたとき、仲間たちは、炊事、掃除、食料の調達など、あらゆる義務を平等に分担することに決めていました。ところが、スターリンは料理と掃除をするつもりがなかったようです。ただ狩りや魚釣りをしていただけでした。

 後年、スターリンはこう回想しています。

 当時私は犬を飼っていて、ヤーシカと名付けたが、もちろんスヴェルドロフは気に入らなかった。あいつもヤーシカ、犬もヤーシカじゃあな。あれで昼飯のあとはいつもスヴェルドロフがスプーンと皿を洗っていたが、私は一度も洗わなかった。食べ終わった皿を床に置いておけば、犬がなめて全部きれいにしてくれたからな。

 流刑の終わり頃、三人目の共産主義者レフ・カーメネフと寝起きを共にしていたとき、スターリンは洗い物当番になると家から逃げ出していたようです。

 革命後は、当時モスクワでもまずいと評判だったクレムリンの食堂で、妻のナジェージダ・アリルーエワと共に食事をしています。そのナジェージダの自殺直後に尋ねた共産主義者が「資産主義国ならば、こうした質素なホテルのような生活も、平均的な労働者を満足させはしないだろう」と記しています。当時のスターリンにとって唯一贅沢な食べ物は、浴槽いっぱいの塩漬けきゅうりだったと言われるほどです。

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