資本主義に出口はあるか/著者:荒谷大輔

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書籍情報

タイトル

資本主義に出口はあるか

発刊 2019年9月1日

ISBN 978-4-06-517016-8

総ページ数 280p

著者

荒谷大輔

江戸川大学基礎・教養教育センター教授・センター長。文学博士。専門は、哲学・倫理学。

出版

講談社

(シリーズ:講談社現代新書)

もくじ

  • 序 社会って、こういうもの?_ゼロ社会を見直すこと
  • 第一章 この社会はどんな社会なのか_「右/左」の対立の本質
    • 「右/左」という対立軸
    • 「右/左」という対立軸の捻れ
    • 「右/左」の起源
    • 「社会契約論」とは何か
    • ジョン・ロックの社会契約論
    • ロックの「但し書き」の問題
    • 「囲い込み」の正当化
    • 交換を介した他者の生産物の私的所有
    • 名誉革命以後のイギリス
    • ルソーの立ち位置
    • ルソーの「誠実さ」の問題
    • ルソーの社会契約論
    • ロックとルソーの違い(1):平等
    • ロックとルソーの違い(2):自由
    • フランス革命とルソー
    • 恐怖政治への突入
  • 第二章 いまはどんな時代なのか_「ロック/ルソー」で辿る近現代史
    • 「ロック/ルソー」の揺れ動きとしての近現代史
    • フェーズⅠ:ロック
      • アダム・スミス道徳論
      • 「経済学」の成立
      • 「自由」の実現:自由競争
      • 「平等」の実現:奴隷解放
    • フェーズⅠ:ルソー
      • ロマン主義
      • 「失われた自然」の仮構性
      • 「民族」の問題
      • 教養主義
    • フェーズⅡ:ロック
      • 労働者階級の貧困化と分業制
    • フェーズⅡ:ルソー
      • オウエンの社会改革とユートピア
      • スピリチュアリズム
      • マルクス主義(1):議会改革か革命か
      • マルクス主義(2):理論と政治
      • マルクス主義(3):歴史の実験
      • 学問の専門分化と教養主義の「敗北」
      • ロマン主義的な教養主義の到達点
      • 「第三帝国」という問題ヴァイマル憲法とナチズム
      • 日本のファシズム(1):天皇制
      • 日本のファシズム(2):アジア主義
      • 対立軸の捻れの発端:保守革命
  • 第三章 いま社会で何が起きているのか_ネオ・リベラリズムの「必然性」
    • フェーズⅢ
      • 戦後国際秩序の成立:モンロー主義の普遍化
      • 国際連合とアメリカ
      • 「リベラル」対「保守」
      • 「戦後民主主義」におけるリベラルと保守の相互依存
    • フェーズⅣ
      • ネオ・リベラリズムとは何か
      • 公共性の構造転換?
      • 「お金」の信仰
      • 財産とは何か
      • 貨幣の資本化:期待の掛け算
      • 経済成長が止まる=投資先が失われる
      • 投資先の「創造」=デリバティブ
      • 経済危機の構造
      • 「長引く不況」とアベノミクスの神話活劇
      • ネオ・リベラリズムの「必然性」
  • 第四章 資本主義社会の「マトリックス」を超えて
    • 共通の前提:「我思う、故に我あり」
    • 「私」という罠
    • 「マトリックス」
    • 「私」という枠組みで隠されるもの
    • 「マトリックス」の外に出ること
    • 新しい「社会契約」へ
    • 新しい社会契約における「自由」と「平等」
  • あとがき

序 社会を見直すこと

 この本では、18世紀~21世紀に至るすべての社会思想の展開を、ロックとルソーという2人の思想家の対立で描き切ることにしました。

 ロックとルソーの思想的対立を軸に歴史を辿り直すことで、現状見えずらくなっている「この社会」の構造を明らかにしたいと思います。

「右/左」の起源

 「右」にあたるのが「ロック」で、「左」にあたるのが「ルソー」です。

 フランス革命時の議会の席次により、「右/左」という政治的な勢力の対立を表すようになりました。

 ロベスピエールが率いる山岳派は常に議会の一番左に陣取り、より穏健的な改革を求める陣営は相対的に右川に席を占めたのです。

 立憲君主制の確率を目指したフイヤン派、ブルジョワジーの権益を代表しつつ、より穏健な革命の着地を目指したジロンド派、最初は同じジャコバン派であった人々も、急進的に革命を推進しようとする勢力との距離によって「右」に位置付けられました。

 「左」という言葉が、平等を求めて革命を求める一派の意味になったのは、ロベスピエールを原型とするものだったのです。ロベスピエールは、ルソーのように生きることを誓ってフランス革命を「テロリズム」へと導いた人でした。

 対して穏健な改革を求めた人々はロックの名誉革命を範にブルジョワジーの権利を代表していました。

 「右/左」が問題になる最初の場面で対立の軸となっていたのは、ロックとルソーという2人の社会契約論の著者の思想的な対決だったわけです。

対立軸の捻れ:保守革命

 ナチズムやファシズムは一般的に「右派」あるいは「保守」とみなされます。「右」といわれるのは、それらが民族や伝統を重視し、自由主義に対立することに由来します。

 しかし、マルクス主義に代表される「左派」もまた同様に、ロック的な近代社会を乗り越えようとするものでした。

 そうすると同じ自由主義が「右」でもあり「左」でもあるということになってしまうのです。「左」の指す意味が、相対的な位置を示すものに成り下がってしまいます。

 ナチズムやファシズムが民族や伝統を掲げることで「右」あるいは「保守」といわれます。しかし、既得権益の保全を理想とした王党派とは異なります。ゆえに、ナチズムやファシズムは「民族主義的急進派」と呼ばれるべきです。

 同じく「ロック的な社会の乗り越え」といっても「保守革命」を目指す勢力と「共産主義革命」を目指す人々の関係は、歴史的に非常に折り合いの悪いものでした。

 ヒトラーはマルクス主義を断固として排除していますし、マルクス主義者は「保守革命」を標榜する人々を唾棄すべき輩と一蹴しています。

新しい「社会契約」へ

 資本主義はすべてを市場に取り込んで、その外に生存可能な領域を残さないほどに世界全体を覆っています。

 人はいかに経済の先行きが見えなくても「この幻想を生きるしかない」と思わざるをえない状況になっているのだと思います。

 けれど、みなで枠組みを外し、ともに「ゼロ地点」に立ち返ることができるならば、そこから新しい社会を構築することは、それほど難しいことではありません。

 社会のゲームは共同体のみなで参加して一斉にプレイするものなので、単純につまらないからといって簡単に辞められるものではありません。ゲームはゲームとして真剣にやらなければ、面白くもないのです。

 けれど、特定の思考の枠組みを絶対化して、それだけが「世界」だと取り違えられるならば、身体レベルでの現実が置き去りにされ、人々がときに不当に搾取される仕組みができてしまいます。共有される思考の枠組みをゼロ地点から導き出すことを憲法とすることで、特定の社会のルールを常にゼロ地点に立ち戻って検討する可能性を最初の社会契約にあらかじめ盛り込むことができるのです。

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