地獄めぐり

※ 毎朝、5分以内で読める書籍の紹介記事を公開します。

※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。

はじめに

 女子大学にて美術史の講義をしていると、地獄絵をテーマにすると、なによりまじめに学生たちは耳を傾けてくれます。

 若い彼女たちが皆、自分の死後の行く末心配しているとは到底思えません。自分たちの感性に従って地獄絵に向いています。それが、不思議でしかたがありません。

 美しいものに対して、心惹かれるのは自然ですが、不気味なものに対しても、私たちは強く反応します。

 恐ろしい、おぞましいを求めているからでしょうか。無意識のうちに、私たちは地獄に魅入られているのに違いありません。

書籍情報

タイトル

地獄めぐり

第1刷 2019年7月1日

発行者 渡瀬昌彦

発行 (株)講談社

ISBN 978-4-06516-1470

総ページ数 232p

著者

加須屋誠

出版

講談社

もくじ

  • 第一章 地獄の誘惑
    • 地獄太夫
    • 「暴力」と「エロス」の世界
    • 心のなかの地獄
    • 私たちは地獄に堕ちる
  • 第二章 地獄へ旅立つ
    • 生から死へ
    • 死の山
    • 三途の川
    • 脱衣婆
    • 賽の河原
  • 第三章 地獄をめぐる
    • 地獄の場所と構造
    • 互いに敵対心を抱く亡者
    • 獄卒に切り込まれる亡者 …etc
  • 第四章 閻魔王の裁き
    • 閻魔とは誰か
    • 閻魔天から閻魔王へ
    • 閻魔王と五官 …etc
  • 第五章 地獄絵を観た人たち
    • 美しい美術史
    • 菅原道真
    • 尊意僧正
    • 清少納言
    • 西行
    • 後白河法皇
  • 第六章 地獄からの生還者たち
    • 臨死体験と社寺縁起
    • 狛行光
    • 武者所康成
    • 北白川の下僧の妻
    • 証空
    • 白杖童子
  • 第七章 地獄の衰退と復興
    • 地獄を征服する仏たち
    • 地獄の沙汰も金次第
    • 近代における地獄のイメージ
  • 参考文献
  • おわりに
  • 挿図一覧

三途の川

作者: かみたま

 この世とあの世の間には暗くて深い川が流れています。現代においても、そうしたイメージは多くの人の心をとらえていますが、その歴史は古くにさかのぼるのです。

 日本最初の仏教説話集『日本霊異記』に、一度死んでから再び蘇生した人の証言がいくつか収録されています。

 証言の中には、広い野原を抜け、険しい坂を上った後、分かれ道が3本ある深い川の淵に到着したというものがあります。こうした説話から、死の山を越えて三途の川へと至る道行が古い時代から夢想されていたkとがうかがわれます。

 三途の川は「葬頭河」「三瀬川」「奈河」と称されて、山間の急流をないしているところ、深い淵をなしているところ、橋がかかっているところと説かれています。

 罪の軽いものは浅い川を渡り、善人にしか橋を渡ることを許されないと記述される。僧侶に導かれて橋を渡る男女と、深みにはまり大蛇に襲われる亡者が対比的に描かれていたりもします。

釜ゆでになる亡者

Image by Kevfin from Pixabay

 聖衆来迎寺蔵「六道絵」等活地獄幅に、この別処での責め苦が描かれています。

 ここに堕ちた亡者たちは、鉄の釜に放り込まれ、豆のように煎られる。前世において動物を殺し、その肉を煮て食べた者が、この中に堕ちる(住生要集)

 地獄の責め苦の1つに釜ゆでの刑があることは、今もよく知られています。

 亡者を苦しめる道具として釜が使用されたのは古いです。たとえば、最初期の仏典1つ『スッタニパータ』670には「また次に変えんがあまねく燃え盛っている銅製の釜に入ります。火の燃え盛るそれらの釜の中で永いあいだ煮られて、浮き沈みする」との一文がみえます。以後、多種多様な経典で言及されています。日本でも平安後期には『今昔物語集』以降の逸話集や室町時代の御伽草子でも、地獄の釜のイメージは繰り返し語られ続けました。

 今に伝わる遺品として、天平時代制作のなら・当麻寺蔵「当麻曼陀羅」第十観「観音観」にごく小さくではありますが地獄の釜が描かれています。

 この場面をみつつ、それと同時に、現代の私たちがキッチンにて料理を作るときのことを想起してみましょう。肉や野菜のようにひとつひとつ個別のそれではありません。地獄で釜ゆでにされている亡者は個性を有しておらず、1人ひとりの存在は消え去り、材料とみなされるのみです。身体的な苦痛に加え、自信のアイデンティティを溶解させてしまいます。

地獄からの生還者、武者所康成

作者: ニッキー

 奈良に住んでいた男、大和国宇智郡桜井郷の住人、武者所康成は武士でした。戦争のないときには、猪などの狩りをする漁師でもありました。幼いころに父を亡くし、再婚相手とはあまり上手くいっていませんでした。康成は我慢ならず、男を殺害しようと企てましたが、暗闇のなか誤って母を殺してしまいます。

 毎月の供養を忘れずに行い、康成自身は病で臨終を迎えます。獄卒たちに連れられて、無間地獄で釜ゆでの刑にされることになりました。そのとき、矢田寺の地蔵菩薩が現れて彼を釜から救い出してくれたのです。

 死後3日を経て、康成は生き返り、このことを語ったとあります。

地獄を征服する仏たち

Image by Stefan Keller from Pixabay

 一休宗純の手で作られたと言われていた「仏鬼軍絵巻」には、不思議な話が記し描かれています。

 娯楽の阿弥陀如来は閻魔を追い落として、地獄を征服することを決意し、それを聞いた閻魔は「穢れた現実界と聖なる仏界は別でり、地獄まで仏が支配することなどあってはならない」と反論します。

 仏たちと地獄の軍勢とは戦争に突入しました。なかなか決着がつかなかったが、蜜厳浄土より大勢の兵を遣わして、閻魔王庁は炎上し、仏の浄土とかしたのです。

 仏たちがしかけた戦争により、地獄は征服されました。仏は「善」であり、獄卒や冥官たちを「悪」と捉えるなら、素朴に需要できる物語です。

 これで良いのでしょうか。腑に落ちません。仏が自ら戦争を仕掛けています。本来、仏は慈悲を重んじるはずの存在であり、自らの領土拡大のために、力にまかせて他国の征服を目論むのはいかがなものでしょうか。

 私たちが死後に地獄に堕ちるのは、事業自得のゆえです。獄卒たちに罪はなく、閻魔王にもなんら非難されるべきところはありません。罪なき獄卒たちが痛めつけられ、閻魔王の領土が奪われるのは理不尽ではないでしょうか。

おわりに

 実は地獄に興味を持つ人は少なくありません。老若男女なぜか地獄に惹かれます。

 地獄絵を真剣に観ることは、意識にある自分自身の本性に目を向けることです。自分の暗部を知れることは、自身を明るい未来に向けて開いていくことへと通じると信じています。

感想

サイト管理人

サイト管理人

 世の中にはこんなに面白い教養が存在ものなのかと感心しました。

 母が信心深く、お墓参りに毎回のように生花と線香や桶を借りて、それなりに長く手を合わせています。それを見ながら、造花でも挿しておいて代行サービスに除草剤の散布と掃除してもらうのではダメなのかと、どうしても考えてしまいます。そもそもお墓要らないです。どうでも良くなるくらい、老人の死をみてきました。信心深いほど馬鹿馬鹿しいことはないと、確信しています。そんなことを思いながら、「暑い、早く終わってくれ」とか「帰り運転だるい」とか絶望しているのです。

 こんな面白くないイベントにお盆休みの1日を潰して行う必要もないと、実利面で被害があると苦痛に思います。ですが、地獄という創造物の歴史をたどると、きちんと物語であって、ちゃんと面白いのです。地獄という要素は展開を書きやすいのかもしれません。

 地獄の教養、物語、学んでみてはいかがでしょか。

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