大坂堂島米市場

※ 毎朝、5分以内で読める書籍の紹介記事を公開します。

※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。

はじめに

 経済学も、学ぶ前例がないまま対峙した人々がいます。江戸時代の日本人です。

 江戸時代に米が盛んに取引されたことはよくしられています。そのなかで米切手という証券を通じて米を売買する市場があったことは知られていません。この市場は、むしろ海外において有名なのかもしれない大坂の堂島米市場です。

 米切手とはいわば「お米券」です。1枚、約1.5トンの米俵と交換できました。期限内であれば、いつ交換してもいいので、しばらくの間「お米券」のまま市場で取引を行っていたのです。

 大名は、実際に大坂で管理している在庫米の量以上に「お米券」を発行して資金調達を行う必要がありました。それが商人たちの間で日常化していったのです。

 市場経済との向き合い方を、先輩である江戸時代の人々の経験を追体験してみてはいかがでしょう。

書籍情報

タイトル

大坂堂島米市場

江戸幕府vs市場経済

第1刷 2018年7月19日

発行 講談社

ISBN 978-4-06-512498-7

総ページ数 320p

著者

高槻泰郎

出版

講談社現代新書

大坂米市の発生

作者: ボンボンイラスト

 大阪における米市の起源は、いずれも戦国期以来の豪商、淀屋辰五郎の店先に商人が集まり、自然発生的に米市が開かれたことを起源としています。

 ここではすでに手形で売買がなされています。大名が国元から廻送した年貢米を蔵屋敷から落札し、その代銀の3分の1を支払うと手形が発行されます。残りの金額を添えて蔵屋敷に提出すれば、米と引き換えることができたのですが、落札者はこの手形を第三者に転売していたのです。

 諸大名が資金を前借りしようとして、米手形を発行していました。米の販売市場にとどまらず、将来の収入を引き当てにして諸大名が資金調達をする金融市場としても機能していたのです。

 東京が現金の授受で決算されていたのに対し、京・大坂では手形で決済が行われるのが一般的となっていました。

大坂への米廻送

UnsplashRoméo A.が撮影した写真

 中之島の南側には、鴻池屋善右衛門、加島屋久右衛門といった金融業で財をなした豪商が店を構え、北浜には金相場会所がありました。

 中国・四国・九州地方の諸藩の米は、例年10月ごろより大坂へ送られています。米という財の特性上、最も沢山の米が大坂へ送られたのは秋ですが、多くの大名が年をまたいで断続的に米を送っていたのです。大名が持つ輸送能力と大坂の港湾の集荷能力に制約されたと考えられます。

 4月から9月にかけて大坂に運ばれ、入札がかけられていました。西日本の大名の米(西国米)と区別して、これらは「北国米」と呼ばれています。

 最も入札がかけられたのは10月です。新米の出回り時期として繁多を極めました。この時期は資金需要も強かったため、市中金利も上昇したと言います。

空米切手停止令の発令

UnsplashLily Liが撮影した写真

 田沼意次が先頭に立って、政策上の実施部隊となったのが勘定奉行以下、勘定所の役人を務めていました。江戸幕府は、砂糖の国産化や鉱山新興などのさまざまな施策を打ち出していますが、こうした動きは大名とて例外ではなかったのです。

 収入の米納年貢依存から脱却を図る動きは、紅花・タバコ・綿などの商品作物生産の展開となってあれわれ、その土地に見合った産物をつくるべしとの議論が活発になされるようになりました。

 蔵屋敷は、在庫米量以上に米切手が発行されている現状、米を手配できなかった場合に米切手を買い戻している現状を踏まえたうえで、これらの行為を禁じています。

 1つの理由に、米切手が過剰に発行され、信用不安を起こせば、米価が下がるからです。

 2つ目の理由は、米切手に信用がないからと、早めにお米に変えておこうと一時に大量の米切手が持ち込まれて、悲鳴を上げざるを得ないからです。米切手取引市場全体に悪影響を及ぼしかねませんでした。

 だからこそ、江戸幕府は統制に踏み込んだのです。

御用金政策の評価

作者: まっきーばっは

 大坂市中から融資を募り、そこで得た資金を、街を通じて米切手市場、大名金融市場に投下することで、米価上昇と領主階級の資金繰りの改善を図りました。

 政策解除後は、米価が元の水準に元ってしまい金融市場が混乱したのです。しかし、米価の上昇があったことは無視できず、この期間に米切手を発行した大名は助かりました。米価の下落は大名財政には飢饉に等しいのです。

 短期的な資金繰りの改善はあったものの。政策総体としては失敗であったとみれるのではないでしょうか。思惑が短期的なものを企画していたかどうかは、大名側の史料を分析していくことで検討することはできますが、現時点では難しいのです。

 確実に言えるのは、少なくとも御用金の出資者は痛い目にあったということです。

あとがき

 空米切手の問題については、ミクロ経済学の分析視角が有効であり、米価浮揚策についてはマクロ経済学の分析視角が有効です。

 何よりも、堂島米市場の取引制度を理解するためには、金融・ファイナンス論の知見が不可欠でしょう。このように、経済史を学ぶことは、必然的に経済学を使って物事を考えるトレーニングを積むことになるので、きわめて実践的な学問だと思います。

感想

サイト管理人

サイト管理人

 当時にしてみれば、年貢は画期的なシステムだったのでしょう。遠いところまで米を運ぶというのも、えらい大変な作業だと感じてしまいます。

 お米券のお話は為替相場のようでいて、まさにタイムリーな話だと感じながら読みました。円安になり、優秀なエンジニアが出稼ぎに出たり、買われたりして国内の人材が足りなくなり悲鳴を上げるみたいなことです。

 昔の一見単純な衣食住と価値の話を学ぶことで、現在のファイナス知識と重なるところを考える面白さがありました。

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