歴史教本「第二次世界大戦とは何だったのか」

※読書推薦人が興味をもった部分を紹介します。

はじめに

 本書は通史を読み込むための手引書です。1つ1つの事象と事件を関連させて、皆さまの歴史観が立体化することを願っています。

書籍情報

タイトル

第二次世界大戦とは何だったのか

戦争指導者たちの謀略と工作

著者

渡辺惣樹

 日米近現代史研究家です。
 米英ほか歴史資料を広く渉猟し、日本開国から日米戦争にいたる日米関係史を研究しています。米国側の考えを取り入れつつ、書いた著作が高い評価を受けています。

出版

PHP研究所

ピカソのゲルニカ

※ゲルニカの模写

 歴史書、絵画、文学、報道の世界でも共和国を善とし、フランコ軍を悪として描くものがほとんどです。彼らは共産主義思想を隠しながらメッセージを残します。

 ピカソも共産主義者でした。作品を通じて共産主義思想を拡散させると、はっきり書かれています。

 スペイン共和国政府は、共産主義をたたえる作品の制作をピカソに依頼しました。ゲルニカ郊外には軍需工場の拠点でしたが、空爆被害も民間に及んでいたのでもってこいの題材となったのです。

 高校生が学ぶ世界史の教科書には「スペイン内戦の際、ドイツ空軍の爆撃で焦土となったスペインの小都市ゲルニカを題材にして、戦争への憎しみと怒りを込めた作品を書いた」とあります。

 軍事施設であったことや、ピカソが共産主義であったことは、教科書に書かれていないのです。

 戦争の残酷さを示す素材はどこにでもありました。「ナチスの非道」を写す適当な被写体をでっち上げたのが『崩れ落ちる兵士』(ロバート・キャパ)です。写真の場所は、撮影の日に戦闘がなかったことが知られています。そして、この写真がゲルニカ制作の動機になったのです。

疑似共産主義のルーズベルト政権

 1933年、大統領になったフランクリン・デラノ・ルーズベルトはニューディール政策を始めます。この政策は社会主義統制経済と呼ばれ、世界恐慌からの脱出を目指した政策と賛辞されている教科書もあるほどです。

 このニューディール政策の目玉の1つにテネシー川流域開発公社(以下TVAと略)の設立があります。

 原爆開発のプロジェクトによるウラニウム濃縮がTVAによって行われていました。そして、日本に落とされた原爆はTVAによるテネシー産なのです。このことを教える歴史教師はどこにもいません。

 米国とソビエトには国交が無かったが、スターリンは国内に米国企業が工場を設置すれば一定の利益を保証するとして投資を促していました。その甘い言葉に、米国経済界は乗ってしまうのです。

スターリンの大粛清

 スターリンの政敵を根こそぎ粛清するグレイトパージが始まったのは1936年のことです。公式記録だけでも150万人以上が拘束され、およそ68万人が銃殺されたとあります。実際の数字は、この倍にのぼるといわれています。

 スターリンの本性を見抜き、逃げた人物もいました。ボリス・バザノフです。実質、スターリンの個人秘書をしていました。ですが、スターリンのあまりの残虐さに耐えられなかったのです。潜在的政敵が一掃される経緯は、バザノフが残した数々の書に描かれている。

 1990年にオハイオ大学出版部によって英訳復刻された『バザノフとスターリン糾弾』があります。翻訳版はありません。『スターリン元秘書官のメモワール』1980年仏語版もあるが、英語版もありません。

同志よ!選挙で重要なのは誰が誰に投票するかではない。誰がどういうやり方で票をカウントするかだ

という貴重なスターリンの生の声が載っています。

日米関係の悪化

 日本開国プロジェクトを成功させて、米国は日本の教育係のような立場にありました。しかし、アジア系への差別は激しく、日本人の移民も迫害を受けることがあったのです。

 日本が強国ロシアに勝利し、米国はそれを脅威とみなしました。日本人への差別もより強くなったことでしょう。

 日米改善を探りたい政治家、経済人も多かったが、国家レベルでの嫌がらせが日本を苦しめるようになっていったのです。

 米国は日本からの移民をシャットアウトする法律がたてられました。日本に激しい反米感情を生んだのです。

 日本の対戦への協力は充分に感謝されていたにもかかわらず、時の流れに押されて排日移民法が制定されてしまいました。

 そして、後戻りできないほどに悪化を続けていったのです。

宣教師による反日プロパガンダ

 盧溝橋事件は1937年7月7日に発生しました。それでも、話し合いで収束するはずだったのです。しかし、蒋介石は講和の動きを無視して、戦いを拡大させる方針をとりました。

 蒋介石の裏にはソビエトの工作があったことが、米国の史書で明らかになっています。

 ロシア大使は、日本と戦争することがあれば武器や物資、軍事支援をすると中国に信じこませようとしていたのです。

 日本の史書には、ソビエトの工作があったことを書きません。

 キリスト教団にとって信者数を増やすことは使命です。米実業界は対日経済政策にのる気ではなかったが、中国の人口をあてにして布教していた宣教師が反日文書を配布してまわっていました。

 米中間でキリスト教化し、太平洋を支配できると考えられていたようです。

明るい1939年

 1939年の万博博覧会には、陽気に歩くひとびとがいました。

 この時期の米国民は、ヨーロッパの戦いに関わってはならないと考えていました。

 日米が戦争になるなど、考えてもいなかったのです。

チャーチル

 第一次世界大戦の参戦は間違いだったと、国民は思っていました。フランクリン・デラノ・ルーズベルトは、若者をけっして戦場へ送らないと嘘をつき、選挙を勝ち抜いたのです。

 フランクリン・デラノ・ルーズベルトの再選に安堵したのはチャーチルです。

 英国への武器供給をして、ドイツの勢力に対応すべきだという思惑がありました。

 米国には、戦力を整える時間が必要でした。そこで利用したのは中国です。早い段階で日本に攻撃されてもらっては困るのです。

 中国も布教などの後押しを受け、日本を「野蛮」とする国民感情を焚きつけることをしていました。米国の支援は、日本に対抗するために必須だと考えられていたのです。

予告されていた真珠湾攻撃

 1941年日本が需要の8割を依存していたカリフォルニア産の石油を全面に禁輸しました。8月のことです。

 真珠湾攻撃は11月30日の日曜日です。その一週間前に、『日本週末にも攻撃の可能性』と地元新聞に一面を飾っていました。米太平洋艦隊の基地があるハワイがそのターゲットになることは明らかです。

 この記事の存在について、正統派歴史書は書きません。1つの新聞社だけではなく各出版社が同じような記事を報道していました。

 米国世論は、戦争への介入に積極的ではありません。ヨーロッパの戦争へ介入するためには、本土へ攻撃がさらされる必要があったのです。真珠湾攻撃は、その目的を叶えたものとなりました。

 真珠湾攻撃は想定以上の被害がでてしまって、世間に隠していた強固な反日外交の実体を「ばれる」のを恐れていたのです。証拠となる文書の破棄や改ざんの証言はとれています。ホワイトハウス担当の名物記者ヘレン・トーマスが、知人のオリーブ・修羅―からそれを聞いたと明らかにしているのです。

原爆投下をめぐる

 ピカソが民間人虐殺に心を痛めていたとしたら、広島や長崎に落とされた原爆による虐殺についてもゲルニカを上回る情熱で作品を創作しなければならないでしょう。ですが、描こうとした形跡はありません。

 米国は日本が降伏条件の交渉を求めていることを知っていたと、軍事関係者の多くが証言しています。ハーバード・フーバー大統領が残した書『裏切られた自由』でも明らかにしています。

 マンハッタン計画には英国も参加していました。原爆の使用について合意がとれたのです。チャーチルは原爆の無警告しようをトルーマンに勧めました。
「日本は何の警告もなく真珠湾を襲い、貴国の若者を殺したではないか」

 1945年8月7日、広島に投下した原爆の実験が成功したとトルーマンに知らせが入ります。周囲の水兵とともに喜びのあまり立ち上がり叫んでいたのです。その3日後には、長崎にプルトニウム型原爆が長崎に投下されました。

 核兵器のすさまじい破壊力を十分すぎるほどにわかっていました。核兵器の事前警告をすること、人工の希薄な山間部への使用を考慮していたほどです。ですが、スチムソンは反対します。
「そうした手ぬるいやり方では日本を降伏されることはできない」
そう、適当な理由をつけていたそうです。

 民間人を標的にした原爆使用に怒りをぶつけていた人物もいます。バード次官です。
「日本に対して無条件降伏後の扱いを説明することこそが、日本が求めていることです」
「日本と交渉することで、わが国が失うものは1つもありません」
この彼の書簡を米国政府が秘密解除したことに、良心の小さな欠片をみることができます。

戦争を起こしたのは

 日本ではチャーチルを評価する知識人が多いのはナゼでしょう理解できません

 そもそも、第一次世界大戦を起こしたのはチャーチルです。

「かつては攻撃された歳の住民だけが死んだが、新兵器の登場で交戦国国民のすべてがころされたり飢えたりする事態になった」とチャーチルは言っています。たしかに、この論文だけを読めば、人道的な倫理観を持った政治家であると言えるでしょう。

 この有名な論文を出す5年前、チャーチルは毒ガスの使用を積極的に推奨していました。

 チャーチルは、言行不一致の見本のような人物なのです。

 米英ソ三国首脳での共同コミュニケの一節です。
「空からは軍需工場を破壊する、攻撃は容赦なく、激しさを増す」
実際には、無差別都市爆撃を繰り広げていました。これを善としていたのは、チャーチルです。無差別攻撃になることを、容認していたのです。

「全てを犠牲にしてでも勝利する」
チャーチルの言う犠牲は、倫理観も含まれるようです。

 ありもしない、ドイツ人によるベルギー民間人虐殺をでっち上げています。

 結果、ドイツ東部の都市ドレスデン空爆は激しいものとなり、10万人が死にました。

 そして、およそ一カ月後、東京大空襲が起きるのです。

 ピカソは、東京の絵も、ドレスデンの絵も描いていません。

感想

 ヨーロッパを監視できる英国を味方につけたい、ドイツの勢力を弱めたい、日本が出しゃばってきたので潰したい。そうした思惑は世界大戦という犠牲を払って、成功をおさめたと言えるのでしょう。

 言い続けていれば現実になってしまうこともあり、1人の思惑が戦争を起こしたりするのです。

 世界が2分してきたなと、感じる方が多いと思います。だからこそ、恐怖に流されないように、時代の流れに流されないように、歴史を知ることは大切なのかもしれません。

 いろんなご年配の方から、お風呂の時間に決まって話される戦争の話を聞きました。「何が正しくても戦争はダメだな」というのは深く感じます。どんな裏側の話を見聞しても、やっぱりそれだけは変わりません。

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