寒天/著者:中村弘行

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書籍情報

タイトル

ものと人間の文化史

190・寒天

発刊 2023年7月28日

ISBN 978-4-588-21901-6

総ページ数 303p

著者

中村弘行

 小田原短期大学食物栄養学科で39年間教員生活を送る。2015年から寒天研究を始め、調査のため、南は宮崎県から北はサハリンまで歩きまわっています。

出版

一般財団法人 法政大学出版局

もくじ

  • まえがき
  • 第1章 トコロテンの歴史
    • トコロテンと寒天
    • トコロテンの最初の文字
    • ココロフトはどのようにトコロテンに転訛したのか
    • トコロテン売りの変遷
  • 第2章 寒天の発明
    • 美濃屋太郎左衛門発明伝説
    • 異説
    • 私の独自調査
  • 第3章 摂津の寒天
    • 摂津の寒天の始まり
    • 寒天製造法
    • 仲間組合結成の機運
    • 城山組と尼崎又右衛門の支配強化
    • 薩摩、信州、丹波へ
  • 第4章 薩摩の寒天
    • 歴史的背景
    • 寒天密造
    • 地中に埋もれた石山寒天工場
    • 有水川寒天工場
    • 寒天工場遺跡の保存顕彰
    • 補遺 昭和版「薩摩の寒天」
  • 第5章 信州の寒天
    • 信州における寒天製造の始まり
    • 共倒れへの危惧と原藻不足
    • 白川万蔵の活躍
    • 幕末の信州寒天
    • 明治時代における寒天製造
  • 第6章 天城の寒天
    • 伊豆国生産会社
    • 寒天製造へ
    • 朱書の入った未提出文書
    • 朱書の背景と意図
    • 残る寒天の地名等
    • 大釜の発見
  • 第7章 岐阜の寒天
    • 副業
    • 菖蒲治太郎
    • 大口鉄九郎
    • 三岩寒天製造所
    • 農家副業の火が灯る
  • 第8章 樺太の寒天(前編)
    • 黒いトコロテン
    • 杉浦六弥の栄光と没落
    • 漁民、反撃開始
    • 医師が漁業組合長に
  • 第9章 樺太の寒天(後編)
    • 協定締結
    • 自由採取闘争と自家製造
    • 帝国議会請願
    • 最後の闘い
  • 第10章 サハリンに日本人寒天遺跡を訪ねて
  • あとがき
  • 参考文献
  • 人名索引

まえがき

 トコロテンの歴史は古く、古代に始まります。一方、寒天は江戸時代からです。

 トコロテンは原料のテングサさえ手に入ればどこでも作れるのに対して、寒天は気温が氷点下になる寒冷地でないと作れません。したがって寒天の歴史は製造に適した地域の歴史です。

 寒天は、水とともに加熱すると溶け、冷やすと固まります。そのとき、大量の水分を保持できるのです。この特性を利用して羊羹。みつ豆、アイスクリームなどの菓子、寒天寄せ、ジュレ、テリーヌなどの料理に幅広く使われてきました。

 19世紀後半では、食品分野以外で使われるようになりました。細菌にほとんど分解されない特性が注目され、微生物を培養する培地として医学等の研究に使われています。20世紀に入ると、歯科医療において患者の歯型形状をとる印象材、化粧品、医療品、介護食、醸造用清澄剤、布・紙の糊、書品サンプルなどに使われるようになりました。

 寒天を知らない人はいないでしょう。しかし、その歴史はあまり知られていません。

寒天の製造工程

天然寒天の製造工程

①テングサを釜で煮る

②煮汁を漉してトコロテン液を抽出する

③天突きでトコロテンを作る

④トコロテンを天日干しする(凍結・融解・乾燥を繰り返す)

⑤十分に乾燥させて、細寒天(糸寒天)にする

⑥乾燥した細寒天を束にして運ぶ

工業粉寒天の製造工程

①抽出工程:溶解釜(20KL)に原藻を投入し、洗浄したあと蒸気を吹き込んで原藻を融解する

②ゲル化工程:寒天ゾル(液体)を筒状のラインに流して冷却し、ゲル(個体)化する

③冷凍工程:寒天ゲルの冷蔵庫への出し入れはロボットが行う。冷凍庫内の温度はマイナス20度

④乾燥工程:凍結、解凍後はベルトコンベアに乗せて熱風乾燥させる

⑤最終工程:粉末機で寒天を粉末状にして、フレコンに粉末寒天(粉寒天)を入れる

寒天の発明

寒天発明の伝記文献
●高鋭一編『日本製品図説』内務省、1877年(明治10年)
●桂香亮「凍瓊脂の説」『大日本水産会報告』一六号、1883年(明治16年)
●河原田盛美『清国輸出日本水産図説』農商務省水産局、1886年(明治19年)
●農務産商水産局『第二回水産博覧会審査報告』、1899年(明治32年)
●大阪府『大阪府誌』大阪府、1903年(明治36年)
●岡村金太郎『趣味から見た海藻と人生』内田老鶴圃、1922年(大正11年)
●名倉宗太郎編『寒天誌』大阪府・京都府・兵庫県寒天水産組合、1923年(大正12年)
●農商務省水産局編『日本水産製品誌』水産社、1935年(昭和10年)

 寒天の発明の原点が書かれている文献はこうです。

 薩摩藩主・島津光久が参勤交代の途中で京都伏見の旅館美濃屋に滞在しました。食事にだされたトコロテンが屋外に放置され、凍結・融解・乾燥を繰り返し寒天となったのです。それを美濃屋の主人・太郎左衛門が発見しました。太郎左衛門は「心太の干物」と名付けて販売しています。京都宇治に黄檗山万福寺を開いた隠元隆琦禅師がそれを食べ、寒天と名付けました。

信州における寒天の始まり

 行商人であった小林粂左衛門は、偶然寒天製造を目撃し、その気候が故郷の信州諏訪地方と似ていることから製造技術を持ち帰ることを決意しました。製造工場で下働きをしながら製造法も学んだのです。それが信州寒天の始めりとなっています。

 信州では氷餅、氷豆腐といった保存食が作られていました。大根、こんにゃくなどの寒晒し(フリーズドライ)という加工技術を用いて保存食品にしていたのです。

 当時の長野県の小学校の教科書には諏訪地方の特産品として「寒心太」(「かんてん」と読む)、細美、氷餅、氷豆腐…と書かれています。

副業

 江戸時代より農家は本業としての田畑耕作と組み合わせて、様々な自給自足経済を営んできました。

 綿より糸を紡ぎ、糸より布を織り、布より着物、頭巾、肌着、足袋などできる限り身に着けるものは時給してきたのです。草履、蓑、筵(むしろ)も、酒、醤油、味噌も、農閑期における時給品です。

 しかし、1983年(明治6年)地租改正により土地・海面が私有財産化されたため、入会地(共同原野・山林)や自由海面から薪、肥料、福食物などをえることはできなくなりました。

 日清戦争のことから始まった第一次産業革命によってそれまで自給していた物品は商人によって供給されるようになったのです。

 各地で取り組まれている副業を製糸業、果樹・蔬菜、特用作物、畜産、製造、工芸、林産、水産の分野にわけて、道府県別に掲載していました。

 岐阜県では、寒天の分類は製造の分野に入ります。

 農務省が濃霧局の中に副業課を新設したのは工業化の影響で農村の貧困が深刻になったからです。農村経済を活気づけるために副業奨励予算が振り分けられました。

 寒天製造の自然条件、原料と鑑識、寒天製造の設備(工場)、寒天の製造法、寒天の荷造り、競争、取引といった苦難を乗り越えて、農家副業としての寒天製造を成功へと導きました。県が低利資金で支援し続けた結果、昭和6年には岐阜県の寒天工場は25工場となっています。

あとがき

 食べることが好きでした。お菓子ばかり食べて太ってしまったという失敗談を授業に導入しているほどです。

 教育実習先で研究授業をします。そのときに、「こんにゃくは何かできている」という話題になりました。「こんにゃく芋です」と答えていたが、実は私もこんにゃく芋を見たことがなかったのです。

 それまで地域貢献事業として展開していた親子料理教室「おだたん食育村」で原料が創造しにくい食品 こんにゃく、豆腐、トコロテンを新たにつくるようになりました。2度目のトコロテン作りの前に、伊豆の天城山中にある寒天橋を撮影にいきました。そして、その不思議な名前の由来調べが最初の寒天研究となったのです。

 それ以来、興味のおもむくままに、兵庫県西宮市、大阪府高槻市、宮崎県都城市、長野県伊那市、岐阜県恵那市、石川県金沢市、京都市伏見区とトコロテン、寒天に関する遺跡や郷土資料を探し、各地のトコロテン、寒天の歴史をまとめる作業をしてきました。

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