火葬と土葬 日本人の生死観/著者:岩田重則

※ 毎朝、5分以内で読める書籍の紹介記事を公開します。

書籍情報

タイトル

火葬と土葬 日本人の生死観

発刊 2025年4月30日

ISBN 978-4-7917-7709-9

総ページ数 293p

書評サイト 読書メーター

出版社リンク 青土社

著者

岩田重則

東京学芸大学教授を経て、現在、中央大学総合政策学部教授。

出版

青土社

もくじ

  • はじめに
  • 第1章 浄土真宗門徒の火葬
    • 火葬で墓が無い無墓制
    • 火葬で墓がある分骨墓制
  • 第2章 火葬と土葬の歴史(1) 貸そうと寺院納骨の歴史的形成
    • 火葬と西方極楽住生
    • 火葬と寺院納骨の浸透
  • 第3章 火葬と土葬の歴史(2) 火葬から遺体槨納・土葬への回帰
    • 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康
    • 火葬から遺体槨納・土葬への転換
  • 第4章 分骨と仏教聖人・聖地への一体化
    • 高野山奥の院納骨
    • 会津の冬木沢参り
  • 第5章 救済の死者供習俗
    • 東北地方の仏教聖地
    • 仏教聖地での死者の救済
  • 第6章 土葬と「お墓」の誕生
    • 土葬の無墓制
    • 土葬の無墓制と土葬の両墓制
  • 第7章 政治権力と死生観の文化
    • サンマイでの死の観念
    • 文化の蓄積と様式
  • むすび

書籍紹介

 この本では、日本人の死生観を深く掘り下げ、火葬と土葬という二つの葬送方法を通じて、私たちの祖先がどのように死と向き合ってきたのかを探ります。著者の岩田重則さんは、1961年静岡県生まれの歴史学・民俗学の専門家で、早稲田大学や慶應義塾大学で学び、現在は中央大学総合政策学部の教授として活躍されています。長年にわたり、死や葬送の文化を研究してきた岩田さんの視点は、鋭くもあり、温かみも感じられるものです。

 本書は、墓を訪ね歩き、死者を誰がどのように弔い、亡魂をどこに、どのように安置してきたのかを、文化や歴史の流れの中で丁寧に描き出します。たとえば、浄土真宗の門徒における火葬の習慣や、火葬と土葬が歴史的にどのように変遷してきたのか、さらには分骨や仏教の聖地との関わり、土葬から「お墓」という概念の誕生まで、幅広いテーマを扱っています。政治権力と死生観の関係にも光を当て、死をめぐる人々の思いや文化の深層に迫る力作となっています。

試し読み

※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。

織田信長の火葬

ぱくたそより

 中世後期までに上層の葬儀は、火葬と寺院納骨が浸透していました。しかし、近世に入ると、天皇・大名・武家は火葬を停止しています。近世のはじめ、そのような遺体への転換があったのは、天下人の三英傑の影響です。

 1582年6月2日、本能寺の変で死んだ織田信長は火葬です。豊臣秀吉が主催しました。秀吉・家康は遺体槨納により、豊国社・東照宮の祭神となっています。

 壮麗華美、権力を掌握しようとする秀吉のデモンストレーションが信長の葬儀です。信長の菩提寺として大徳寺総見寺を創設し、お香のための木材で信長に見立てた仏像を棺に納めました。本堂には開基古渓宗陳座像と眼光鋭い信長座像を安置しています。境内には信長をはじめ織田家一族の五輪塔による墓が並んでいます。

 生前、信長は生き神になろうとして安土城で自分の誕生日に石を群衆に拝ませていました。その19日後に本能寺の変が起きています。謀反で死んだ信長を秀吉は神としなかったのではないかとも思えます。西方極楽往生させ、この世から断絶させてしまったと考えるものです。一方で、秀吉は自らが神となるために火葬を拒否した記録が残っています。死後、土葬により遺体を槨納し、豊国大明神となりました。自らの名を後世に伝えることを望んだかのようです。

購入リンク

created by Rinker
¥3,080 (2025/06/14 08:09:51時点 楽天市場調べ-詳細)

amazon

電子

amazon

(Visited 2 times, 1 visits today)
関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です