カレー移民の謎/著者:室橋裕和

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書籍情報

タイトル

カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」

発刊 2024年3月20日

ISBN 978-4-08-721308-9

総ページ数 334p

著者

室橋裕和

週刊誌記者を経てタイに移住。10年にわたりタイ及び周辺国を取材する。
帰国後は、アジア専門のジャーナリストとして活動。

出版

集英社

もくじ

  • はじめに 「ナン、おかわりどうですか?」
  • 第一章   ネパール人はなぜ日本でカレー屋を開くのか
    • 同じようなメニューの店が多いワケ
    • ネパールは世界有数の「出稼ぎ国家」
    • 「まあ、なんとか食えてるって感じのカレー屋が多いんですよ」
    • 「インネパ」というワードに漂うある種のニュアンス
    • 「成功するため」のカレー
    • 自分たちがつくっているカレーに興味がない?
    • インド食器屋「アジアハンター」
  • 第二章   「インネパ」の原型をつくったインド人たち
    • 「インネパ」の「源流」を探れ
    • インド独立運動が日本にカレーをもたらした
    • ナンとタンドリーチキンを日本で初めて出した店
    • 元ネタは宮廷料理
    • 日本のバターチキンカラーの祖
    • ムガル帝国は「インネパ」の遠い祖先
  • 第三章   インドカレー店が急増したワケ
    • バブル期に起きた胎動
    • コックのビザが取りやすくなった90年代
    • 日本人×ネパール人夫婦の店が増えていく
    • チーズガーリックナン発祥の店?
    • 中央線沿線のオリジンとなった店
    • 小泉改革で「インネパ」が爆発的に増えた?
    • さまざまな仲介ビジネスが業界を広げていく
    • 「おいしい水があれば誰だって飲みたくなる」
    • 格安ランチをはじめたのはインド人? ネパール人?
    • 入管の統計に見るネパール人増加の歴史
  • 第四章   日本を制覇するカレー移民
    • 名古屋にいる「レジェンド」を訪ねて
    • 来日は1983年、きっかけはインドの新聞広告
    • インド経由、名古屋行き
    • インド人がネパール人コックを重宝した理由
    • 愛知万博をきっかけに「インネパ」が増えた?
    • 40年で1軒→246軒
    • 名古屋で2番目に古い店
    • タンドールはなんと瀬戸焼!
    • 「インネパ」を全国に広めた一族
    • 東海・近畿にカレービジネスを広めた男
    • 寿司より気になる根室の「インネパ」
    • ビザが取れればどこへでも
  • 第五章   稼げる店のヒミツ
    • 外国人が開業、出店するには
    • 入館はチラシ配りもチェックしている?
    • タンドールをめぐるウワサの真偽
    • ナンは「ファッション」になった
    • お邪魔しました「インネパ」キッチン
    • ネパール人経営アドバイザーが語る、うまくいく店
    • いかない店
    • くたびれた日本人を癒せるかどうか⁉
    • コロナ禍をチャンスにして大逆転した店
  • 第六章   カレービジネスのダークサイド
    • 5000軒にまで急増したウラ事情
    • カレー屋は貧困の固定化装置?
    • 「ちゃちゃっとカレーつくって出せばいい」
    • カレー屋のそばにカレー屋
    • 「インド料理の”格”が下がっちゃったんですよ」
    • 安さ追求だけでいいのか
  • 第七章   搾取されるネパール人コック
    • 月給10万円、現金払い、社会保険なし
    • 「もうネパール人には雇われたくない」と話すネパール人
    • ネパール人同士で給料未払い裁判
  • 第八章   カレー屋の妻と子供たち
    • 在日ネパール人の教育事情
    • 「人生をあきらめている」と話す子供たち
    • ひたすら働き続けるだけの親たち
    • 日本語がわからず、ドロップアウトしていく
    • 救ってくれたのは夜間中学だった
    • 父と切り盛りする店の味は
    • ネパール人半グレ集団「東京ブラザーズ」
    • 言葉がわからないまま、教室に座り続ける
    • あまりにも負担の多い「コックの妻」
    • 子供の教育を乱雑に扱う親
    • カレー屋の子供たちも学ぶ「萩窪のエベレスト」
    • コックの父はアルコール依存症
    • 不満と不安を抱えたカレー屋ファミリーは多い
  • 第九章   カレー移民の里、バグルンを旅する
    • いざ、「インパネのふるさと」へ
    • カトマンズに乱立する「海外出稼ぎ」の看板
    • ヒマラヤの奥地にまである日本語学校
    • どこに行っても日本語が通じる町
    • 家族はみんな日本でカレー屋
    • 過疎化していく村
    • 栃木のピンパブにハマって……
    • 1年間で10人の生徒が日本へ行った学校
    • 自給自足の村から、はるか日本を思う
    • 日本行きの「相場」は120万円
    • ビザの制度に閉ざされた将来
    • 「カレー御殿」はあるけれど
    • 日本でも助け合うガルコットの人々
    • 日本にバグルンの人々が増えた歴史的背景とは
  • おわりに  カレー移民はどこへ行くのか

はじめに

 日本人のランチの選択肢の中で存在感を示すようになったネパール人経営のカレー屋が増えました。

 店内に入ってみれば「いらっさいませー」とカタコトのなんだか間延びした日本語で出迎えられます。壁にはヒマラヤの写真だとか、三角形を組み合わせたネパールの国旗なんかが飾られていて、実はインドじゃないんだぜ、とアピールしていたりもします。

 日本人の生活に、もはや食い込んでいるかのような存在なのに、僕たちはあまりにも彼らを知りません。

バターチキンカレーの祖

 ネパール人カレー店業界のレジェンド、六本木の「モティ」があります。

 六本木通りに面した超一等地のビルの3階に上がると、インドの宮廷を思わせるゴージャスなインテリアと、漂うスパイスが出迎えてくれるのです。

 このお店を創業したサニーさんは「インド系のカレー屋は増えましたが、今でもウチが一番だと思っています」と胸を張るサニーさんに、看板メニューのバターチキンカレーをごちそうしていただきました。

 鮮やかなオレンジ色のソースは、濃厚なバターの香りがして滑らかです。味も濃い印象があり、巷のバターチキンカレーより存在感があります。

 なんと40年前からレシピを変えておらず、カルダモンの量などのスパイスにこだわりがあるようです。

 マレー半島にはインド系の移民が多く、このバターチキンカレーも戦時中からの物語があります…

入管の統計に見るネパール人口

 2005年はインド人の勢力が強く、ネパール人はまだ日本に入ってきたばかりでした。それでも、2004年にはNRNAの日本支部設立されています。

 これが2009年には技能ビザの人数はネパール人がインド人を上回り、2012年には日本におけるインド人とネパール人の在留数の比率が逆転します。投資・経営ビザだけでなく、ネパール人の家族滞在ビザと留学ビザが一気に増えていることも特徴です。

2005年2012年2023年
在留人数 インド16,988人21,654人46,262人
在留人数 ネパール6,953人24,071人156,333人
技能ビザ インド1,680人3,798人6,412人
技能ビザ ネパール1,000人6,209人14,040人
投資経営ビザ インド260人307人489人
投資経営ビザ ネパール37人513人2,493人

月給10万、現金払い、社会保険なし

 「日本に来る前には、手取りで18万円と聞いていたのですが」インドレストランで働くアンジュンさん(仮名)が言います。

 それでも、月給10万円もらえるので、ネパールの公務員で働いていたころに比べるとだいぶましなのだそうです。

 アパートは会社で用意してくれているのは良心的ですが、仕事が忙しく買い物をする時間もありません。だから、毎月3万円を故郷に送り続けるという生活を送っています。

 アルジュンさんはカトマンズで1年、インド半年くらいのコック歴しかありませんでした。そのような、未経験のコックが、材料とレシピを渡されて回しているだけのお店もけっこうあるといいます。

 店をいくつも経営してコックをとっかえひっかえし、暴利を貪るネパール人経営者も増えているようです。

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