あぶない法哲学

※ 毎朝、5分ほどで読める書籍の紹介記事を公開します。

※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。

はじめに

 勉強したくない。働きたくない。結婚したくない。子育てしたくない。だけど楽しく暮らしたい。物心ついた時からそう思っていました。

 当時は、女優になりたかったので、「法学部を出るとつぶしがきく」という常套句にのって、とりあえず大嫌いな法律を学ぶ学部に入りました。

 法律や判例を学ぶのだろうと思いきや「法哲学」という初見の科目を発見し、興味をもったのです。

 哲学者のなかには、面白い人物がたくさんいますが、お気に入りはディオゲネスです。樽の中で日向ぼっこをしていたところを、アレクサンドロス大王にのぞき込まれたときに「オレの日光浴の邪魔をするな」と言い放っています。

 当時のマケドニア王国を支配していたとんでもなく偉い人に向かって、自分の幸せを最優先する言葉を放つ生き方に、至極共感しました。

 学者の数だけ法哲学のバリエーションがあるといわれていますが、そのなかで私の法哲学は「悪ガキ風」です。

 常に権威や社会常識に悪ガキのような疑問を持って逆らっていく気持ちはとても大事だと思います。

 囚われのない思考と心であれこれ考えることを楽しんで下さい。

書籍情報

タイトル

あぶない法哲学

常識に盾突く思考のレッスン

第1刷 2020年6月1日

発行者 渡瀬昌彦

発行 (株)講談社

ISBN978-4065193778

総ページ数 272p

著者

住吉雅美

出版

講談社現代新書

高額所得は才能か?

UnsplashBen Koorengevelが撮影した写真

 ノージックは、自分が所有する才能で努力し大成功を収めた人は、その才能ゆえに獲得できた収入をすべて自分の正当な財産として支配できると強調します。

 ロールズは才能の有無は偶然であり、自然が分配した偶然の結果だといいます。自分が他人より豊かな才能をもって生まれることが道徳的に値していたと考えるだろうか。と問いかけているのです。たまたまそうだっただけのことだと言います。

 ロールズは稼げている多彩な才能を社会の共有資産として組織化して他人にも貢献したら良いといい、ノージックは他者への貢献は友愛や自由意志に求めるべきだというのです。

 現代正義論はロールズに始まりノージックというライバルの登場で、熱い議論が闘わされる分野となりました。

ダメ人間の気持ちがわかる

UnsplashXtra, Inc.が撮影した写真

 アメリカで禁酒法という法律が施行されたことがあります。しかし、禁止されても欲しいものは欲しいのです。結果的にマフィアの台頭を許すこととなりました。禁止すればよいというものでもないのです。

 善悪を決めつけ、人々に権力をもってああしろこうしろと強制する起きてや規則にはろくなものがありません。ある高校では「髪を黒くしろ」と、生まれつき茶髪の少女に髪染めを強要しました。少女の逃避は傷んでしまったが、その高校の教師は詫びることは無かったといいます。髪の色が教育にどう影響するのでしょうか。

 10代の子が好きな子と逢ったり、キスしたり、セックスしたりということは充分にあり得ます。妊娠してしまったら大変です。どう防ぐとよいでしょうか。

 法で禁止することで未成熟な性行為を抑止することができるという考えあります。それに従い、避妊手段を子どもに与えてはならないと規制法が主張されたことがイギリスで起こっています。おそらく現在の日本でも支持者は多いのでしょう。

 けれど、避妊手段が与えられないからといって、性行為を断念するでしょうか。

 それどころか、陽性反応が出ても親にも相談できず、結果として中絶や育てられない子ども生む事態が増えるおそれがあります。

 禁圧せずに、性行為をしてしまうこともあることを認め、その結果が悪くならないようにコントロールする方がましではないかと、規制法の裁判では考えらたようです。

臓器を売ること

UnsplashRobina Weermeijerが撮影した写真

 日本のみならず多くの国で、臓器の売買は法律で禁じられています。

 臓器を提供するにしても無償で贈与する場合には人道的な社会奉仕だとして賞賛されますが、有償で提供するとなった途端に金稼ぎだと非難されるのはなぜでしょう。臓器という物体に対して金銭的対価をつけてはならないことに疑問があります。

 原則的に、人が他人のためにサービスを提供する場合には、それに見合った対価を得なければならないと思います。何らかの仕事をしている人々にとって、それは当然のことです。

 だからといって、脳死状態になって臓器を摘出された後に、その体を受けてもしょうがありません。対価を遺族に渡す、相続させるというのも適切ではありません。臓器提供の意志を示した人に対して生前に対価を支払うべきです。しかしそうなると、死ぬまで受け取った金額にみあう臓器の健康状態を維持しなければなりません。

 細かい議論や批判はもちろんあるでしょうが、あくまでも原理的な提案です。

潜在能力の平等

Image by Tumisu from Pixabay

 ロールズやドゥオーキンは、個人の自由で自律的な生き方を支える財や資源の平等な分配という関心を集中させていました。このような平等観に異論を唱えた人が1998年にノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センです。

 センは、財をどれだけ持っているかによって平等を測っている点に疑問をもっていました。それらの財を十分に活用できない人がたくさんいると唱えています。自力で栄養を吸収できない人もいるゆえです。だから求めるべきは持ち物の平等でなく、「潜在能力」の自由なのだといっています。

 「潜在能力」とは生きるための能力のことで、発展途上国や飢饉の環境で生きる人々はその限りではないとしています。

 センの発想は国連にも影響を与えています。国力を示す基準として「人間開発指数」というものが現在採用されていますが、これはセンの哲学の産物です。その国の国民の返金寿命、教育、1人あたりの国民所得の総体で測ります。

おわりに

 「池の水ぜんぶ抜く大作戦」という番組があります。池の水は濁っていて、時には悪臭を放っています。「池はそんなもんだ」「そのままにしておくべきだ」とかで触れずにきたものです。

 池からでてくるものは、異常繁殖した外来種や投棄されたゴミ、人間の所要が解かるものでした。

 人が何も考えずに依存し、欲望、悪意、業を投げ込んできたものが常識です。投棄してきた「都合の悪い物の蓄積によって澱み悪臭を放っています。

 そういった常識にとらわれない頭脳で考えるのが、法哲学の真骨頂だと私は思っているのです。

感想

サイト管理人

サイト管理人

 凄く面白い本でした。

 疑問をもって深掘りしていくと、面白い議論が出てくるものなのかなと、俯瞰しているような感覚で読み進められました。

 各章の前置きで語られる例えが面白くてわかりやすいといった印象です。「法哲学」だけでは頭に入りずらい内容も、楽しく学べると思います。

 非常に、おすすめの本です。

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