※ 毎朝、5分ほどで読める書籍の紹介記事を公開します。
※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。
目次
プロローグ
自然をめぐる哲学史を検討することを通して、我々はいかに自然を自然を思考するのかという問いに答える手がかりを得ることができるでしょう。
自然をめぐる哲学史を取り上げ、その検討を通じて、哲学が自然を取り逃すことなく思考することがいかにして可能なのか、そしてその場合、哲学はどのような「自然」の概念を作り上げることによって自然を思考するのかを考えてみたいのです。
書籍情報
自然の哲学史

第1刷 2021年4月1日
発行者 鈴木章一
発行 (株)講談社
ISBN978-4065228661
総ページ数 488p
米虫正巳
関西学院大学文学部教授。専門は、フランス哲学。
講談社選書メチエ
古代ローマの自然と技術

UnsplashのMassimo Virgilioが撮影した写真
古代ローマ期から中世にかけての哲学史の自然と技術の理解はどうなっていたのでしょうか。
マルクス・トゥッリウス・キケロの著作『神々の本性について』で自然と技術の考えが抽象的に描かれています。
いかなる技術も自然の巧みさを模倣することはできない
第一部では、技術を自然に対して二次的なものと、アリストテレス的な自然や技術観を反映するもののように思われます。
人間の手によって実現されるものは、実現される方がより見事に実現される。その意味で「自然」とは「職人技」そのものである。技術者としての自然よりも巧みな技を発揮できるものは存在しない
第二部では、自然は技術的なものをあらかじめ含んでおり、その限り自然は既に技術的であるという、プラトン的な自然や技術観を描いています。
これらのセリフは、いずれもキケロ本人のものではなく、キケロ以外の登場人物たちの言葉として語られたものです。
ルソーの自然と技術

作者: ごまおはぎ
18世紀ではディドロの技術論とルソーの自然観の対立がしばしば語られています。
技術の役割を重視したディドロに対して、技術以前の自然を重視したルソーという構図です。2人は友人でありましたが、最終的に絶縁しています。
自然と非自然、自然と人為を分割しようとするルソーに従うとします。そうした分割を確定しようとすればするほど、この分割の境界線はかえって揺らぎを見せ始めて消失していくのです。
ルソーは技術を全く重んじなかったのかと言うとそうではありません。自ら農業に技術に関わり、農業という技術と社会の発生の間には対応が見られると認めています。冶金の重要性も無視できないとしていました。
最近では、技術を軽視し自然を重視したというルソー像も見直されつつあります。
ルソーは単に技術を批判していたわけではなく、人間と技術を調停しようとする「技術哲学」が含まれています。技術は、ルソーによれば「世界を変容し、そうすることで人間の環境に対する関係を変容する」活動のことです。
その意味では、技術もまた自然的なものであって、決して非自然的なものではありません。
ニーチェの自然概念

Image by WikiImages from Pixabay
ニーチェによれば、自然とは「カオス」であるというのがその答えです。
ニーチェによればそもそも自然には目的自体が存在しません。外部から目的を与えられて初めて動作することができる機械のように、自然を考えようとする者は、同様に自然を誤って理解しています。
人間的な意味や価値を自然に置き換えることで、人間は自然を正しく理解するどころか、そうした価値に従って自然を裁き、否定するに至るのです。晩年の断想でニーチェは言っています。
しかし、自然そのものは決して善でも悪でもなく、そのような人間的価値を越えたところにあるのです。そうした価値を含めず、その手前で自然を把握するように努めなければなりません。このような「自然の脱人間化」は、ニーチェの哲学の核心にある一貫した試みなのです。
あとがき
筆者の40代の研究はおおよそ「自然」の問題を軸にして進められてきました。この問題も含めてやり残したことは多く、次のステップに進むためにもここでひとまずの区切りとしておきます。
昨今、研究者が無意味な仕事に時間をとられるだけでなく、学問そのものがその外部からも内部からも脅かされようとしています。そうしたことに対して、哲学は「愚かさを傷つける」こと以外に何ができるでしょうか。
感想

サイト管理人
いまでこそ自然にも命があって、環境に適した生き方をしているのがわかっているので、ニーチェの考えは、半分違うかもしれません。見方によっては、生き物の進化の過程は偶然に遺伝子に変化が起きていったものでもあるので、半分は合っていそうな気もします。
ルソーは、人間と技術を調停しようとする「技術哲学」を考えようとしていたのであれば、時代を先取りしすぎて理解されなかったんじゃないかなと思いました。農業や自然に触れることで、人間が自然にできることの限界を感じていたのかもしれません。
気になることを学ぶために外国語をすんなり習得するような天才たちが、「自然」に対しての哲学を考え抜いていたわけです。
「自然」をテーマにしていることから、哲学にしては入りやすいと思います。
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