※ 毎朝、5分以内で読める書籍の紹介記事を公開します。
※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。
目次
はじめに
ぼくがどんなふうに今の坂本龍一に辿りついたのかということには、興味があります。
音楽家になろうとしていたわけではありませんが、音楽を職業としているのです。将来なにになりたいか書いてくださいと幼少期に言われたときに、何を書いたらいいのかわかりませんでした。
自分が何かになるということが想像ができないし、職業に就くということも不思議なことに思えてなりません。
ルールを覚えて物事を並べ、学習してできるようになることが成長するということなのだろうと思います。そういうことが、ぼくには生理的に合わないようです。
過去から現在までの自分について整理することは、本当は違和感があります。でも、今回はあえてやってみることにします。
書籍情報
音楽は自由にする
第1刷 2023年5月1日(文庫版)
本文写真 Basi1 Pao、米田知子
資料提供 坂本敬子
編集協力 KAB Inc.
発行者 佐藤隆信
発行 (株)新潮社
印刷 大日本印刷(株)
製本 加藤製本(株)
ISBN978-4-10-129122-2
総ページ数 331p
坂本龍一
新潮文庫
学生生活の終わり
大学院に進んだのは、社会の何かに所属するということができず、いいかげんな学生の身分のままでいたかったからです。作曲の理想に燃えて勉強を続けたかったからではありません。
当時はひとり暮らしをしてみたり、使っている彼女の部屋に住みついてみたり、スタジオにいって、その場にある楽器で引いたりと、そんな生活でした。
大学院の授業には本当に全く出ていません。
大学院には4年いられると思っていましたが、何もやっていない大学院生を置いておけないと言われ、1曲書いて、大学院を出ることになったのです。「何でもいいから」と言われましたが、ぼくとしてはそれなりにまじめに書きました。10分か15分のオーケストラの曲です。
大学院に提出した曲を芸大の先輩にあたる黛敏郎さんが譜面をごらんになる機会がありました。大変、気に入ってくださったようで、テレビ番組『題名のない音楽会』で演奏されることになります。
80年代前半にしって、それまで誰も演奏してくれたことはなく、そのときが初演だったのです。
大島監督からの電話
大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』については、噂が流れていました。ビートたけしが出るらしい等々です。そんな噂を耳にしてから数日後、大島監督から突然電話がかかってきました。
ぼくの事務所でお会いすることになって、台本を小脇に抱えた大島さんが歩いてくるのを興奮した様子で待っていました。
大島監督の作品は、高校、大学時代に、ほとんど見ていましたから、憧れの人だったのです。
大島さんからのお話は「映画に出て下さい」というものです。それに対して私は「音楽もやらせてください」と返事をしました。
映画音楽の経験はありませんが、なぜかできる自信があったのです。大島監督はすぐに「いいですよ」いって下さいました。
作った音楽は純粋に映像との関係を意識しました。映像の力が弱いところに音楽を挿入するというものです。大島監督とぼくでそれぞれ音楽リストをつくって突き合わせをしました。どこにどう音楽を入れるかという事に関して、ほとんど一致していたのです。すっかり自信をつけてしまいました。
日本の物差し
ホテルに泊まるのと実際に住んでみるのとではやはり全然違います。暮らすうちに、いろいろ学びました。
到着して、店へ行きその場で家具を注文しました。翌週には届くだろうと思っていましたが、3カ月かかるというのです。耳を疑いました。
3カ月後に届いた荷物を開くと、自分で組み立てろといいます。
仕方がないので、組み立ててみると、今度は部品が足りません。慣れない英語を使って、業者と大喧嘩をしました。
しかし、ものを頼むとすぐ届く、すぐ来てくれる国は、世界は広いといえども日本ぐらいなのです。イタリアでもモロッコでも中国でも大変です。日本の物差しで測ってはいけません。
行きがかり上です
いろんな社会活動をしていますが、世界の状況に注視してやっているわけではありません。
ぼくは、すごく怠け者だし、やむを得ずやっているところがあります。六ヶ所村のことを知ってしまったのも事故に遭ったようなものです。
グリーンランドに言ったときの話です。科学者やアーティストが気候変動の実態を見て、世の中に伝える『ケープ・フェアウェル』というプロジェクトに参加しました。良く前日までは、めんどうだと思っていたものです。
嫌々行ってみたら、ものすごい宝物に出くわしました。呆然としてしまい、ニューヨークに戻ってからも日常に復帰できなほどです。
考えてみると、自ら進んで始めたことはあまりないと思います。
あまり手を広げずに、音楽だけやっていられれば幸せなのですが、いろいろ体験する羽目になっているのです。行きがかり上。
あとがき
世界を変えたわけでもなく、音楽史を書き変えるような作品を残したわけでもありません。
そんな僕が「音楽家」と、大きな顔をしていられるのは、ひとえにぼくに与えられた環境のおかげです。
ほんとうにラッキーな時間を過ごしてきました。これまで関わってきてくれた人たちがくれたエネルギーの総量は、ぼくの想像力をはるかに超えています。
最後に、こんな人間の個人史を読まされる読者に対して、もし分けないという気持ちとともに、「ありがとう」と言わせてください。
感想
サイト管理人
思ったように音楽を作ることで、映画なりプロジェクトなりの環境に合った作品を生み出したということなのでしょう。それにしても、坂本龍一は人間でした。なかなか、共感できる人も多いのではないでしょうか。
楽しんで環境を楽しめる芸能の人が亡くなると、寂しい気もします。芸人でいえば、志村けんさんもそうです。早すぎる死を、最近はよく惜しむことがあります。
必要とされる人ほど、早く亡くなられてしまう感覚を受けるのは、私だけではないはずです。音楽のイメージが強すぎる映画やドラマもありますが、映画の雰囲気を壊さない挿入曲を作れる人も需要があるでしょう。お悔み申し上げます。
一足先に自由な仕事の仕方をしていた方の人間性が読めます。下にリンクを貼っておきますので、本書の購入を検討してみて下さい。
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