核のプロパガンダ/著者:暮沢剛巳

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書籍情報

タイトル

核のプロパガンダ

「原子力」はどのように展示されてきたのか

発刊 2024年2月21日

ISBN 978-4-582-74519-1

総ページ数 367p

著者

暮沢剛巳

東京工科大学デザイン学部教授。専門は美術・デザイン研究

出版

平凡社

もくじ

  • 第1章 「3・11」と伝承館
  • 第2章 ヒロシマとナガサキ
  • 第3章 死の灰のパノラマ
  • 第4章 森の中の「原爆の図」
  • 第5章 日本の原爆開発 架空の展覧会
  • 第6章 原子力平和利用博覧会とその後
  • 第7章 原子力ルネッサンスの挫折 東芝未来科学館
  • 第8章 PRと廃炉
  • 第9章 ブリュッセルから大阪へ
  • 第10章 夢のエネルギーと再生エネルギー
  • おわりに

書籍紹介

 核の問題は、私たちの社会や文化に深い影響を与えてきました。その影響を最も鮮やかに反映するのが芸術や展示会、そして科学館です。この書籍は、核戦争後の芸術や原子力技術をテーマとした展示会を通じて、核に関するプロパガンダの実態を解き明かします。

書籍の概要

 核兵器や原子力に関する展示や芸術作品がどのように社会に影響を与え、どのようなメッセージを伝えてきたのかを探ります。暮沢剛巳氏は、特に核戦争後の芸術作品や、原子力技術の活用に焦点を当てた科学館の展示から、そのプロパガンダの手法を分析します。

主要なテーマ

  1. 核戦争後の芸術
    • 核戦争や放射能汚染をテーマにしたアート作品の紹介
    • アーティストがどのように核の恐怖や平和への希望を表現してきたか
    • 核の脅威が芸術に与えた影響と、その社会的な反響
  2. 原子力技術の展示
    • 科学館や博物館における原子力技術の展示内容
    • 原子力発電の安全性や利便性を強調する展示の裏にある意図
    • 教育現場での原子力技術の取り扱い方と、その影響
  3. プロパガンダの手法
    • 展示会や科学館が伝えるメッセージの分析
    • 芸術作品を通じた核に関する意識形成の手法
    • 現代におけるメディアと情報操作の関係性

核の情報を整理する

 核問題に対する理解を深めるための重要な一冊です。特に、芸術作品や展示会を通じて核に関するメッセージがどのように伝えられているかを詳細に分析している点が興味深いです。具体的な事例を通じて、核のプロパガンダがどのように社会に浸透してきたかを明らかにしており、読者は新たな視点で核問題を捉えることができます。

 核兵器や原子力に関する情報操作の実態を知るための貴重な資料です。特に、芸術や展示会を通じて核の問題を考えるアプローチは新鮮であり、読者に深い洞察をもたらします。また、核技術の利便性と危険性を冷静に評価する姿勢は、現代において非常に重要です。

核の報道の背景

 芸術作品や展示会を通じて核に関するプロパガンダの実態を解き明かす一冊です。暮沢剛巳さんの鋭い分析は、読者に新たな視点を提供し、現代社会における核の問題をより深く理解する助けとなります。この本を通じて、核に関する情報の取り扱い方やその背後にある意図を見抜く力を養いましょう。

試し読み

※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。

原爆ドームと平和記念館

 被爆で半壊した産業奨励館の残骸は、その円形ドームに注目した市民から「原爆ドーム」と呼ばれるようになりました。1953年には県から市に譲渡され、1966年には市議会で永久保存が決議されました。

 原爆投下から80年近くが経過した今、外壁だけが残る原爆ドームをどのように永続的に保存していくかが課題となっています。

 爆心地から北東約1キロの地点には広島城があり、かつてその周辺には多くの軍施設が密集していました。現在、その周辺には中国軍管区司令部跡の記念碑が立ち、その被害の凄まじさを伝えています。

 爆心地近くを流れる本川の沿岸は現在、平和記念公園となっており、その一角には広島平和記念資料館が建っています。原爆の被害を伝えるさまざまな遺留品は、1949年以降、中央公民館の原爆参考資料陳列室に展示されていました。しかし、展示品の数が増えるにつれ、専用の展示施設が求められるようになり、1955年に広島平和記念資料館が開館しました。

 開館当初、本館では遺留品が中心に展示されていましたが、雑然とした印象を受ける来館者も少なくありませんでした。2014年のリニューアルでは、「人への被害」に焦点を当てる方針が採用されました。被爆の事実を数字や威力で語るのではなく、被爆者一人ひとりの苦しみや遺族の悲しみに焦点を当てる展示に変更されたのです。

 多くの市民が普通の生活を送っていたこと、そして被爆後に救護班が向かうことが困難だった様子などが、被爆者の遺族から寄贈された品々を通じてイメージできるようになっています。

日本の原爆開発

 「太陽の子」がリメイクされ、三浦春馬の遺作となったこともあり、公開当時は大きな話題となりました。この映画では、原爆開発に取り組む科学者たちの姿が描かれています。

 日本でも原爆開発が進められていたことは、極東軍事裁判でも一切明らかにされませんでした。当時、自国が原爆を開発できる能力を持っていると考えていた人はほとんどいませんでした。

 戦後間もない1949年、湯川秀樹が日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞しますが、授賞理由となった中間子理論は1930年代の研究成果でした。当時の日本の物理学の研究水準は非常に高かったのです。戦後まもない時期に、日本の原爆開発について詳細に調べ、記録を残していたアメリカの公文書が長い封印を経て公開されたことも大きいでしょう。

 核研究に携わった荒勝文策は、広島の現地を視察し、アメリカが投下したのが原子爆弾だと結論づけました。彼は現地で採取した土を分析し、「リトルボーイ」に使用されたウランの量まで正確に当てています。

 結局、原爆によって日本は降伏し、開発競争に敗れたことが示されています。そして、冷戦期にはアメリカとソ連の核開発競争が激化し、接点のあった湯川や朝永がノーベル物理学賞を受賞しているという事実もあります。

原子力科学館

 取り上げたいのは、茨城県那珂郡東海村にある原子力科学館です。東海村は1957年に創設された日本原子力研究所が所在し、日本で初めて原子炉が臨界に達した場所でもあります。

 「原子力ムラ」という比喩は、多額の地方交付金と引き換えに原子力関連施設の建設を受け入れた地域に使われますが、東海村は日本初の「原子力ムラ」と言えるでしょう。

 日米原子力協定やライセンスの制約、京都議定書などの問題により、国立科学博物館や日本科学未来館といったサイエンスミュージアムでは、本格的な原子力展示が行われていません。そのため、東海村の原子力科学館は日本で唯一の原子力に関する総合博物館と言えるでしょう。

 この科学館では、自然に降り注ぐ放射線の飛跡を観察できる装置や、人体に必須の元素をゲーム形式で学べる元素パズル、荷電粒子を加速する仕組み、原子力の基礎、放射線の利用法、原子力の安全性、オクロ鉱石などを通じて学習できます。

 また、別館では放射線医療の計器やニュートリノ現象の研究、東海村JCO臨界事故とそれを踏まえた原発の安全対策の展示が行われています。

廃炉へのプロセス

 廃炉とは、役割を終えた炉を廃棄することを指します。

 廃炉の理由には、耐用年数に達して安全性が疑われる場合や、コストが合わない場合などがあります。日本の原子炉の運転期間は原則として40年間とされていますが、現在稼働中の原子炉のうち4基は既に40年以上を経過しています。なお、炉の停止日は制御棒が挿入された日です。

 次に、廃炉のプロセスについて見ていきましょう。

  1. 廃炉の手順の計画
  2. 炉の停止
  3. 解体準備作業
  4. 周辺設備の解体作業
  5. 炉の解体作業
  6. 炉の入っていた建物の解体

 原子炉の場合、停止した後に十分に冷却されるまで解体作業に着手することはできません。制御棒の挿入から解体開始までには、最低でも3年程度が必要です。さらに、使用済み核燃料の運び出しなど、他にも多くの時間がかかる様々な作業があります。非常に長いプロセスです。

 次に、放射能の問題について掘り下げてみましょう。放射能が初めの半分になるまでの時間を「半減期」といいます。この所要時間は放射性元素の種類によって異なり、核燃料の主成分であるプルトニウム239の半減期は約2万4000年です。日本には核燃料の再処理技術がないため、海外に委託するしかありません。しかし、いつまでも他国に依存するわけにはいかないため、現時点では頑丈な容器に密封して地中深くに閉じ込める以外の選択肢がありません。

 他のエネルギーと比較して低コストであるというのは、原発推進派が導入を訴える際の理由の一つです。しかし、使用済み核燃料の再処理や最終処分場の建設といった、他のエネルギー資源には不要なプロセスの費用も考慮しなければなりません。他のエネルギー資源とのコスト比較には、再処理に要する費用も含めなければ公正とはいえません。

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