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目次
書籍情報
ホームレス夫婦、「塩の道」1014キロを歩く

発刊 2025年10月10日
ISBN 978-4-910962-11-5
総ページ数 359p
レイナー・ウィン
夫が出資した親友の会社が倒産し自宅を失う。どうせ帰る家もないならと1040キロある「塩の道」を踏破する旅出る。旅を綴った書籍がベストセラ―となり、今も夫と各地のロングトレイルに挑戦している。
いそっぷ社
- プロローグ
- 第1章 絶望という筏に乗って
- 人生の塵
- 親友の裏切り
- 1014キロへの挑戦
- ホームレスになって
- 第2章 サウス・ウェスト・コースト・パス
- 不思議な予言
- 深刻化するモスの病状
- 「上のやつらとおれたち庶民」
- 荒涼とした分岐点
- 第3章 長い道のり
- 冒険家とホームレスの違い
- のぼり、下り、緑、青
- 一線を越える
- 「おたくら、波みたいだな」
- 自由に、自分らしく生きる
- セントアイヴスの肉入りパイ
- 第4章 薄塩味のブラックベリー
- 旅が始まり、終わるところ
- ランズエンドから別の国に
- 世間にもどる、という選択
- 第5章 道から離れて
- 屋根のある生活
- 第6章 ふたたび前に
- 世界遺産を歩く
- 「痕跡を残さない」熟練の技
- ついに終着点
- 訳者あとがき
書籍紹介
この物語は、作者であるレイナー・ウィンさんと夫のモスさんが実際に経験した実話を基にしています。50歳を過ぎた夫婦が、突然すべてを失ってしまうのです。夫が出資した親友の会社が倒産し、家を差し押さえられ、ホームレスになってしまいます。さらに、夫は不治の病を抱えており、健康状態も決して良くありません。そんな絶体絶命の状況で、二人は思い切った決断を下します。それは、イギリス南西部のマインヘッドから世界遺産のプールまで続く海岸沿いの道、「サウス・ウェスト・コースト・パス」を歩き通すことなのです。
「サウス・ウェスト・コースト・パス」は、全長約1014キロにも及ぶこの「塩の道」は、険しい崖や美しい海辺が広がる自然豊かなルートです。最小限の持ち物だけをリュックに詰め、テントで野宿しながら進む日々の中で、二人はさまざまな人々との出会いや試練に直面します。しかし、そうした経験を通じて、喪失の悲しみを乗り越え、人生に新たな希望を見出していく様子が、温かくも力強く描かれています。
作者のレイナー・ウィンさんは、この旅を記念して本書を執筆し、作家としてデビューを果たしました。イギリスの新聞からも「人間の強さについての美しく叙情的な物語」と高く評価されており、読む人に勇気を与えてくれます。感動的なノンフィクションをお探しなら、ぜひこの一冊を手にとってみてください。きっと、日常の小さな悩みが吹き飛ぶような体験ができるはずです。
試し読み
※そのままの文章ではありませんが、試し読みする感覚でお楽しみください。
人生の塵から

モスはわたしの隣で膝を抱えています。痛み、恐怖、怒り、大脳皮質基底核変性症との終わりなき闘いを強いられているようです。かつては長いブロンドで若さにおおわれていましたが、今は細い銀髪になり、人生の塵にまみれています。
モスに出会ったのは18歳のときです。今は50歳になりました。荒れ果てた農場を復活させ、観光客を受け入れることで生活費を稼いでいたのです。野菜と2人の子どもを育て、この農場で暮らしてきました。それが全て過去になります。
家の周りをうろつく人たちは、窓をたたき、入れるところはないかと探し回っている状況です。荷造りした段ボールの中には、サウス・ウェスト・コースト・パスを踏破した男の本がありました。
「歩いてみよう」ひどく見当ちがいな言葉だったでしょう。
サマセット州のマインヘッドから沿岸沿いにデヴォン州の北岸を進み、コーンウォール州を通って、ドーセット州のプールまで、なんとか歩けそうな気がしていました。
このときはまだ、1014キロ続く小道が狭いことも、野外で眠り生きなければならないことも、道をのぼることが苦しいことも知りません。身を潜めなくてはならない状況にまで、追いつめた辛いできごとを振り返り、そして乗り越えなければならないことも、わかっていませんでした。
わたしたちは玄関までいきました。ドアの反対側では、わたしたちを今までの生活から締め出そうと待ち構えている人が立っています。このドアを出たら、二度ともどることはできません。
わたしたちは手を取り合い、光の中に踏み出しました。
ホームレス世帯数

ホームレスを支援している慈善団体クライシスが、ジョゼフ・ラウントリー財団と共同で実施した調査によると、英国では2013年に少なくとも28万世帯がホームレス状態、あるいはホームレスになりかかっている状態であると認めています。
ホームレス情報共同ネットワークの調査では、2013年に6550人がロンドンの路上で生活されていたとされていましたが、政府の統計では543人とされていて、目を背けたい人たちにとって配慮された数字となっています。
2014年、わたしたちがサウス・ウェスト・コースト・パスを歩き始めた翌年、反社会行動、犯罪及び警察法が発効されました。この法律により、ホームレスに関する具体的な行動を禁じる命令が下されています。野宿、物乞い、徘徊などが不審だと住民が感じれば、罰金と前科がつくのです。
ホームレスと聞いて思い描くものは、アルコール依存症や薬物中毒、精神病患者といった思い込みが根強くあります。こうした恐怖の対象に、2013年夏、わたしたちはなったのです。
親切な若者

入場料1人6ポンドと書かれた看板をよけ、クロヴリーの石畳の通りを進んでいきます。リュックサックの重みもあり、下るスピードが増していきます。観光客向けの洋菓子店やアイスクリーム店を横目に港の石づくりのアーチを通っていた時です。ニキビだらけの若者が横切り、大きなコーニッシュパイを口にしていました。あまりの空腹に、地面に落ちていくかけらを受けとめたくなります。
「そのパイ、どこで買ったのですか?」
「ビジターセンターで売ってますよ。外食すると驚くほど高くつくから、いつも仕事前にビジターセンターによることにしています。それからピンク色の髪の店員に会うためにね」
「それは大変だ。安く食べることができなくて困っていたんだ」
「ここは物価が高くて暮らしていけないから、もうすぐ陸軍に入るんです。この村ともおさらばできます」
「陸軍、がんばってね」
ひとつのヒエラルキーから逃れられても、別のヒエラルキーに組み込まれるだけなのではないかと心配になりましたが、あの若者ならしぶとくやっていけそうです。わたしたちは、はいつくばるようにしてビジターセンターへ向かいます。見える大きなレストランに期待し、安い料理を頼むことにしました。けれど、ピンク色の髪の店員が申し訳なさそうに、五分前に閉店したばかりなで何も売ることができないと言います。
「コーニッシュパイをふたつ、買うことはできないかな。ぼくたち、パスを歩いて来て、食料を尽くしてしまったんだ。店で何か買えると思ったんだけど」
「お店では食べ物を扱っていないんです。閉店後なので、パイを販売できません。どうぞ、おかけください。お湯を持ってきます」
座ってしばらくすると、ピンク色の髪の店員がもどってきました。
「上司がいなくなるまで待ってください。そしたらパイをさしあげることができます。売れ残りは廃棄するきまりですが、もったいないと思っています。食べ物なしでお帰しするのは、見捨てるのと同じだと、心苦しく感じておりました」
この親切に何かお返しができないだろうか。
「さっき、ここでパイを買ってパブで働いているっていう若者に会って、おしゃべりをしたところだったの、とてもいい人だったわ」
「彼、陸軍に入ってしまうんです。本当は行ってほしくない」
「一度話してみたら、彼も同じ気持ちかもしれないわよ」
「そう思いますか」
「ええ、きっとね」
怖くないわよ

小さなポートリンクルの村の先は、崖が岩だらけで険しく曲がりくねっていて、下草もびっしり生えています。なんとかテントで嵐を乗り切り、下り坂を抜けてルーの村に入りました。漁村の美しい村で、入り組んだ狭い道は観光地となっています。
人ごみを避けながら前に進むと、テーブル3つのカフェがありました。赤い髪のポートランド人が紅茶をふたつ持って来てくれます。
「ずいぶん大きなリュックサックですね?」
「コースト・パスを、西に向かっています」
「たいていはシートンからですが、どこから歩いてきたのですか?」
「いや、ドーセット州のプールからです」
「ほかの州から?それで、どこに泊まるの?ゲストハウスですか?」
「いや、テントです。野営しています」
「そんなすごいことしている人、初めてきいた。友達に教えてあげなきゃ。冒険したいけれど、お金がないとずっと立ち止まっている子がいるんです。きっとすごく刺激になると思います」
しばらくすると、反対の歩道から、赤い髪を乱しながら走ってくる女の子がやってきました。
「本当にテントで寝ているの?どのくらい歩いてきたの?」
「プールからよ。あと1日か2日で、パスを踏破したことになるわ」
「わたしも、人生が変わるような大きなことがしたいと思っているけれど、怖くて、できずにいるの」
「怖い?外国にきて働いているじゃない。それに比べたら、怖くないわよ」
「ワーキングホリデーではなく、力試しをしてみたい。歩き始めたら、あなたたちを思い浮かべるわ」