人はなぜ傷つくのか/著者:秋田巌

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書籍情報

タイトル

人はなぜ傷つくのか 異形の自己と黒い聖痕

発刊 2013年7月11日

ISBN 978-4-06-258557-6

総ページ数 288p

著者

秋田巌

医学博士、臨床心理士。
チューリッヒ・ユング研究所卒業、ユング派分析家国際資格取得。2004年日本箱庭療法学会「河合隼雄賞」受賞。京都文教大学臨床心理学部教授、京都文教大学健康管理センター長、日本ユング派分析家協会理事、日本ユング心理学会役員。

出版

KODANSHA(講談社選書メチエ)

もくじ

  • まえがき
  • 序章 傷を生きる精神学
  • 第一章 異形の自己
  • 第二章 癒されぬ個性化
  • 第三章 純粋にして強靭な意志 ―『Happy!』より
  • 第四章 黒い超自我
  • 第五章 「傷」が呼び寄せるもの ―『カフーを待ちわびて』より
  • 第六章 異類としてのアンドロイド ―<さようなら>より
  • 終章 「原傷・黒い聖痕」
  • あとがき

まえがき

 人が人となるには、「傷」が必要です。

 「考える」ことや「遊ぶ」ことがその本質とされることもありますが、個性化の観点からみれば、「傷」こそ必要不可欠な要素に見えます。

 心的成熟こそが人間に与えられた最も重要な締めであるとするならば、「傷」をどう生きるかが、人の最重要課題となるのです。

 人は生きている傷つく、傷つくと欠落感が生じることもあるでしょう。あるいは、ほんの些細なことでも強い罪悪感を抱くこともあります。「傷」「欠落」「罪」、それらをネガティヴな要素としてのみ心に持ち続けている人が多いのではないです。それにこそ、人たらしめる力が宿っています。

 「傷」を自己をのばすエネルギーにさえなり得ることに気がついたとき、生き方が変わることがあるのです。

 深い傷を負うと、祈りの心が生まれます。「原罪」はユダヤ・キリスト教圏において意味深いものです。傷、祈りは物語化されています。「Disfigured Hero(傷ついた英雄)」を生み出したしたり、「竹取物語」において「Disappearing Anima(きえゆく女性像)」のかぐや姫が祈りのアニマのように感じます。

サイコセラピーと心理療法

 日本人にとって別して厄介な点は、心理療法がサイコセラピー、西洋生まれの西洋育ちだということにあります。

 日本神話とギリシア神話には共通性があって理解しやすい面があり、多神教的世界観を有することは実にありがたいことです。

 しかし、「聖書」の世界となるとだいぶ話が違ってきます。一神教の世界がどれだけ日本人に理解できるのかどうか、心もとないものです。

 心理療法とキリスト教の関係性のことは日本における心理療法論からすっぽりと抜け落ちることが多いが、心理療法を研究するにあたり、キリスト教の問題は避けて通れません。キリスト教の土台を持たないわれわれ日本人は、何をよすがに個性化なるものと向かえばよいのでしょう。

 キリスト教は「原罪」が共有されることで個性による違いを大切にする、集合性の高さがあります。日本には神が八百万もいるが、西洋には”god”が何千万人もいるのです。その一人ひとりが、強く我を主張し、godに対する補償作用の一面があるのではないでしょうか。

 西洋の「原罪の共有」という強固な集合性は、「それぞれの傷」を生き抜こうと志しています。日本では、その傷にこそ自らの性を立脚させようとする在り方を見いだしづらいことがあるのです。

英雄とヒーロー

 Disfigured Heroにおいてはプロセスの断絶が生じます。間黒男は長い黒の潜伏期を経てブラック・ジャックへと変貌します。ピーター・パーカーがスパイダーマンとなり、イエスがイエス・キリストになるように、アイデンティティの断絶があり変容があるのです。

 ハリーポッターは得体に傷を持つが、Disfigured Heroではなく英雄です。生まれたときから凄い才能があります。ヒーローは怪物をやっつけるが、傷を負い、敵わぬまでも生涯闘い続けることを示す決意表明となっています。

 鳥山明の『ドラゴンボール』で鼻のない「クリリン」を違和感なく物語に溶け込ませています。いわゆる社会の枠からはみ出した人間が愛情をもって描かれているのです。

 マジョリティ(多数派)がマイノリティ(少数派)を排除するありさまを完成させています。まるで「福音」という概念を、受け入れやすく描いてくれているようです。

必殺仕事人

 必殺シリーズは、池波正太郎の小説『仕掛人・藤枝梅安』を原作として『必殺仕事人』が1972年からテレビドラマとして始まりました。

 金をもらって弱者の恨みを晴らすというものです。影の殺し屋集団が、法で裁けない悪を大した金も要求せず始末します。普段は嫁や姑にいじられるといった平々凡々な生活を送っているのです。

 そこに、「娘を極悪人に殺された親が、無念を晴らしたい」といった依頼が持ち込まれます。そして仕事が片付いた後は、何事も無かったように、変凡な日常に回帰します。その情景を示すことで、彼らが”マッド”になってしまってはいないということをうまく表現しているのです。

 金銭よりも情で動いていることで視聴者の交換に結びついています。贅沢三昧をしているわけではなく、「黒い超自我」が殺しにまで手をのばし、破滅に至らないための慎ましさと使命感を彼らは持っています。

アンドロイドセラピー

 アンドロイドは、動けず、瞬きや口を動作をわずかに人間に似せることができます。基本姿勢は完璧で、顔の角度、落ち着いた佇まいが得意です。

 谷川俊太郎、ランボー、若山牧水などの短歌や詩を無数にインプットされたアンドロイドがあります。このアンドロイドはセラピー用として作られているのです。完璧な姿勢と声で朗読でき、相手に必要とされる時間のなかでのみ起動します。このアンドロイドは買えるものです。つまり同じものが各家庭に何万体もあるといいます。

 このアンドロイドの一部は壊されることがあるようです。負の感情が抑えきれずに、アンドロイドにあたった結果です。多くの人は、壊した後で後悔をします。

 アンドロイドは従属するもの・かしづくものです。かしづくものが本来の役目を果たしたところに、対となるものが存在可能となります。これが本来の神性と共通するところです。

あとがき

 日本人は、意識的論理的に物事を把握することが得意ではありません。西洋哲学、仏教、キリスト教のが得意なのです。

 論理的にわかっていないからといって、感じていないわけではありません。傷を得られたとき。医師にのぼってくるのに時間がかかるだけでしょう。

 傷を得たときに、微かにでも何とか感じってほしいのです。ただ単に、ひどい目に遭っているわけではありません。天の意志のようなものが、どこかに働いています。

 人はどうして傷つくのか。それは、、傷という契約を生き抜くためなのです。

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