書籍「永六輔 大遺言」

※サイト管理人が興味をもった部分を紹介します。

はじめに

 永六輔という人だけが持っている知識や知見、ものづくりのノウハウといった「財産」。それを耕世に伝えなければならないと、僕が対談のオファーをしたのは、2013年のことでした。

 永さんの体調とも相談しながら間を空けて、2回に分けて行いましたが、結果的に3回目が実現することはなかったのです。

 僕にとって永さんは、仕事や人生の目標とも言うべき存在でした。

書籍情報

タイトル

永六輔 大遺言

著者

さだまさし 永拓美

出版

小学館

タモリさんをNHKに抜擢した視点

 永六輔は、「何も知らない」ことを武器にして、新しいものを生み出してきました。普通、経験を積んで常識が身についてしまえば、武器はなくなってしまうはずです。しかし、祖父の勢いはベテランの域に達しても止まることをしりませんでした。

 福岡から上京し、芸能人が集まる場所で「密室芸」を披露して噂が広まっていたタモリさんです。危険な芸風ゆえに、メディア出演の機械は全くありませんでした。

 サングラスをかけ、芸を披露して笑いをとったかと思うと、急にパンツ一丁になって走り回る奇抜さに祖母は惚れたのです。NHK番組『テレビファソラシド』のレギュラーに抜擢しました。

プロとアマチュアの狭間にあるような怪しい場所から、いつも新しいものがうまれてくる

 常識から外れたものを否定せず取り入れる柔軟性こそ、新しいものを生み続ける秘訣なのかもしれません。

手帳に記された「毎日10個」の予定

 祖父が持ち歩いてる手帳には、原稿執筆、芝居の鑑賞、取材、イベント出席、新幹線で移動しながら取材、帰りに原稿をもう1つ、毎日10個近くもの予定が詰め込まれていました。

 そしてその手帳の脇には、びっしりとネタになりそうなことが書きとどめてあるのです。

 80代になっても、いろいろな仕事に挑戦でき、楽しめる可能性があります。若いうちにくろうしておいても損はないのかもしれません。

人生、明るく生きるはまだ何歳。暗く生きるはもう何歳。
『老兵はしなずただ消え去るのみ』っていうけどさ、きえてたまるかっ、て思う。見かけとか姿とかは老いていきますけどね、絶対に老いないものもある

 「若い」というのは年齢のことを指しているわけではなかったのです。「今が一番若いんだよ」という言葉を読むたび、若々しくいればいいんだと、言っているように聞こえます。

なぜ「一人旅」にこだわったのか

人から人へつながっていく。だから、この先で何が起こるか全然わからない。わからないままに、つながっていく。これがまさしく僕の旅です

 祖母が1人を愛したのは、孤独が好きだからではなく、むしろ人との新しい出会いを存分に楽しむためだったようです。

 グループ旅行と、1人旅では出会う人数が違います。1人でいると人に話しかけやすく、話しかけられやすいのです。

 1人旅は出会いを学ぶ絶好の機会です。必ずしも旅に出る必要はないけれど、普段から旅をするように生きる。祖父が言いたかったのはそういうことだと思います。

引退せず、人前に出続けた理由

 祖母は晩年、パーキンソン病という難病を患っていました。手足が震え、歩行が困難になり、呂律が回らなくなっていたのです。

 TBSラジオの番組『土曜ワイドライジオTOKYO 永六輔その新世界』で、24年間にわたって毎週祖母と共演したはぶ三太郎さんは、当時の祖母の様子をこう振り返ります。

批判されて、永さんは弱気になっていた時期もあった。それでも結局、最後までラジオを続けることを選んだ。そうした理由は、ラジオがすきだから、というこどだけではないはず。体を張って見せるという狙いがあったと思う。病気に苦しみながらも明るく話したり、車いすで何度も被災地に赴いたり…。そうの姿を見せることで、病気や震災で苦しむ人たちに、少しでも勇気を与えたかったのでしょう。

 世間も目を向けることができる、「何かをやり続ける」ことを選んだのです。

誰も反対しないようなことをやったって、誰も何かやったとは思わない

 祖父はこんな言葉を残しました。

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